お試し移住は2週間。二人は住む場所の条件にしていた「空気がよいこと、食べものがおいしいこと、人が優しいこと」が真鶴にあるかを探りながら暮らしてみて、条件がぴったりだと感じた。そこでお試し移住中に不動産屋に日参し物件探しをはじめた。

 当初は宿と出版は別々にやろうとしていたのでとりあえず住む家を見つけ、ゲストハウス用の家を別に借りようとしていたのだが、なかなか物件は見つからなかった。何十軒も見て回る中、出会ったのが築51年の日本家屋。この物件が気に入った二人は、自分たちも住みながら一室に1日1組だけを大切に迎える形で宿をスタートさせることにした。住居の一部分が川口さんの事務所にもなり、「泊まれる出版社」が誕生したのである。

「今までにいろんな国の方がいらっしゃいました。最初の1年は海外の方が多かったです。同年代のゲストは『自分たちと同じぐらいの年代で地方で何か新しいことをしようとしてるなんてすごい!』『将来自分たちもこうなりたい』というような感想を言ってくれる方が多かったです。今年になってからは日本人の方が多いですね。それは『やさしいひもの』という本を出したからだと思います」。

 真鶴出版が最初に制作したのは「ノスタルジックショートジャーニー in真鶴」という、ガイドブックにはない真鶴の魅力とまち歩きマップを合体したもの。川口さん自身が、人を案内するときに自分用の地図が欲しいと、自ら歩き、感じたことをまとめたパンフレットだ。

 この制作と同時期に、真鶴町の移住促進会議に呼ばれたことが1つ転機になった。真鶴では移住促進と町の活性化に力を入れており、移住したい人向けにさまざまな制作物を配布している。それらの制作を依頼されるようになり、2016年3月には「小さな町で、仕事をつくる」という冊子を制作。「やさしいひもの」は、町の産業活性化の補助金を活用して今年制作された本である。

 この本は川口さんが営業に回り、真鶴はもちろん東京や大阪、鎌倉、京都などの書店やカフェで販売されている。手に取った人が真鶴出版を知り、宿泊できることに興味を持って訪れてくるようになったのだ。

 クチコミで名前が知られるようになり、同じく若手が移住し、地域内で新しい取り組みをはじめている小田原、熱海の人びととともにトークショーや移住促進イベントに呼ばれるようにもなった。

「地方の町で新しい何かに取り組んでいる人には親近感や仲間意識を感じます。地方っていうコミュニティーがある感じ。東京で暮らす友だちは今こんなおもしろい動きが地方であることを知らないと思う。それを伝えていくことも真鶴出版でやれたらいいなと思いますね」(川口さん)。

 二人は自然体そのものだ。多くの地方移住者は時にコミュニティーに早く入り込もうと焦りにも似た熱を発散しているが、二人は自分たちのペースでゆっくりやっていこうとしている。
 
「大学の頃は、こういう生き方って海外じゃないとできないと思ってたんです。だから日本に帰るときは崖から飛び降りるような気持ちでした。でも帰ってきてみたら、あれ?! 意外に大丈夫じゃない?! って感じですね」と來住さんは笑う。しかし、東京では無理だったかもしれない。人口が減りつつあり、移住促進に力を入れている土地だからこそ、自由さが受け入れられるということもあるのではないだろうか。

 日本全体がなかなか脱することができない、お金や名誉に縛られる呪縛は、この小さな出版社がある小さな町から解かれていくのかもしれない。(島ライター 有川美紀子)