嘉数高台公園の展望台から見た普天間基地=2015年7月、沖縄県宜野湾市(撮影/安田浩一)
嘉数高台公園の展望台から見た普天間基地=2015年7月、沖縄県宜野湾市(撮影/安田浩一)
基地移設反対の抗議をする市民=2015年11月、沖縄県名護市辺野古のキャンプ・シュワブ前(撮影/安田浩一)
基地移設反対の抗議をする市民=2015年11月、沖縄県名護市辺野古のキャンプ・シュワブ前(撮影/安田浩一)

“嫌沖”という言葉がある。身勝手、左翼の島、反日……。一部保守論壇やネットを中心に流布する言葉を、何の検証もなしに鵜呑みにし、対象を歪め、貶め、侮蔑する。それだけに、対象が与えられる傷は深く、悲しみは底知れない。

「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」

 この“嫌沖”発言をきっかけに、ジャーナリストの安田浩一は、『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』(朝日新聞出版)を書き上げた。

 槍玉に挙げられたのは「琉球新報」と「沖縄タイムス」2紙だ。両紙の新人記者から編集トップまで、安田はとにかく話を聞いて回った。地元紙を批判する人や、2紙に代わる新聞を立ち上げようと奔走した人にも取材した。

 1年を費やした取材のなかで、安田が到達した結論とは……。

*  *  *

 なぜ、基地の問題にこだわるのか──。

 沖縄紙の記者たちにそれを問い続けてきた。

「すべての事象が基地につながるから」

 多くの記者がそう答えた。

 沖縄で取材を続ければ、なにを追いかけていても、必ず基地と戦争にたどり着く。避けることはできない。事件記者も、政治記者も、経済記者も、島を分断するように張り巡らされたフェンスの前で立ち止まる。いや、立ち止まらざるを得ない。

 国土の0.6パーセントの面積しか持たない島に、全国の米軍専用施設の74パーセントが置かれているのだ。過重負担もいいところだ。それは、沖縄が望んで誘致したものではない。押し付けられたものだ。

 沖縄は、ずっとそうだった。同化を強いられ、戦争に巻き込まれ、多くの県民の命が奪われ、米軍に統治され、基地負担を背負わされた。主権を奪われ続けてきた。

 社会の隅々に、生活のあらゆる場面に、基地の存在が重くのしかかる。戦争の記憶が染みわたっている。

 だから書かざるを得ない。無視することなどできない。地元の記者が書かずして、いったい誰が書くというのだ。

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