“ツタヤ”なのに喫茶店? “日本最古”純喫茶が低迷から脱した「復権戦略」 (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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“ツタヤ”なのに喫茶店? “日本最古”純喫茶が低迷から脱した「復権戦略」

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純喫茶「ツタヤ」の4 代目店主・宇瀬崇さん。カウンターには東南アジアの木工品が並ぶ

純喫茶「ツタヤ」の4 代目店主・宇瀬崇さん。カウンターには東南アジアの木工品が並ぶ

27年ぶりに復活したモーニング

27年ぶりに復活したモーニング

富山市の中心市街地交差点に面した「純喫茶ツタヤ」

富山市の中心市街地交差点に面した「純喫茶ツタヤ」

 久々に、“ツタヤ”へ行ってみた。といっても、書店ではない。富山市中心部で開業93年の歴史を誇る「純喫茶ツタヤ」のことである。27年ぶりにモーニングを復活し、好評を得ているという。全国的にチェーン店のコーヒーショップ進出が相次ぎ、喫茶店が続々と姿を消す中、なぜ「純喫茶の復権」は可能だったのか?

 4代目店主となる宇瀬崇さんによると、純喫茶ツタヤは1923年にオープン。45年の富山大空襲で焼失したものの、戦後に再建した“ツタヤビル”の一角で再び開業を果たす。2010年には富山市中心部の再開発によりビルを壊し、2年間の休業を経て12年10月にリニューアル・オープンした。

 大正時代に開業した純喫茶は、全国各地にあっただろうが、今日まで営業を続けている店は少ない。「国内で開業年が最も古い純喫茶」と紹介した書籍もある。最古かどうかは不明だが、大正の末から昭和初期の雰囲気を伝える貴重な店であることは確かだ。小説家の菊池寛が来店してコーヒーの味を称賛したという逸話も残る。

 初代店主は宇瀬さんの曽祖父・石田忠七郎さんであり、祖父・石田孝吉さん(2代目店主)がインドネシアで輸入したコーヒー豆を使った本格的な味を売りにした。店内を飾るジャワの影絵やバリ島の人形はその名残である。孝吉さんは戦時中、インドネシア語の通訳としてジャワ戦線に従軍したこともあるらしい。3代目を宇瀬さんの両親である政厚さん・輝子さんが引き継ぎ、今日に至っている。50年来の常連客が半世紀の変遷を語ってくれた。

「ツタヤさんで初めてコーヒーを飲みました。“大人の社交場”という雰囲気で、店に集う人たちを“ツタヤ族”と呼びました。平成に入ると街なかのにぎわいが郊外へと移り、お客さんは少なくなってしまいましたが、また元気な店になりましたね」

 70代の政厚さん・輝子さんら老夫婦が、常連客を相手に細々と続けていた店の方針を転換したのは、昨年からだ。店の外での仕事を持つ崇さんへの事業承継を視野に入れ、ツタヤを切り盛りしてくれるスタッフを公募したところ、30代から50代までの男女4人が集まった。新スタッフと崇さんが新しい感覚でアイデアを打ち出している。


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