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阪神・淡路大震災から21年…毎年慰霊祭を取材する地元記者が忘れられない“被災者”

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あれから、はや21年…

あれから、はや21年…

 1995年1月17日――死者約6400人、負傷者約4万4000人を出した阪神・淡路大震災は、きょうで21年目を迎えた。未曾有の震災から20年以上経過した今も、神戸市各地で震災の慰霊祭が行われている。毎年、慰霊祭に訪れた人を取材してきた地元記者が被災者の声をレポートする。

「今年、生きていたら成人式を迎えていました。天国で、家内とおじいちゃん、おばあちゃんたちに祝ってもらっていることでしょう。この世にいたら大学生か社会人か。男同士、酒でも飲みたかったですけどね」

 2015年に東遊園地で開かれた慰霊祭で取材したタツヤさん(当時・44歳)は、長男(0)、妻(23)と、同居していた妻の父(45)、妻の母(42)の家族すべてを震災で失った。

「私ね、子どもの頃に両親を失いましてね。早く安定した職に就き、自分の家族を持ちたかった。高卒で公務員になって、すぐ結婚しました。震災の前年9月にやっと子どもを授かったんです」(タツヤさん)

 たまたま東京・霞が関の中央官庁に出張したのは地震が発生する前日の1月16日だった。翌日、宿泊先のテレビで変わり果てた神戸の姿を目の当たりにする。すぐに自宅に電話したが、何度かけても電話は通じることはない。当時は、まだスマートフォンはおろか、携帯電話も普及していなかった時代。出先からの連絡は公衆電話が主な手段だった。

 電話がつながらず途方に暮れていたところ、霞が関の役所から「すぐに家に戻れ」と宿泊先に連絡がきた。顔を見たこともない上司に礼を言い、神戸へと急ぐ。


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