約40年にわたりオオサンショウウオの調査を続ける栃本さん。後ろは研究所内の保護プール
約40年にわたりオオサンショウウオの調査を続ける栃本さん。後ろは研究所内の保護プール
日本ハンザキ研究所のある廃校
日本ハンザキ研究所のある廃校
夜間観察会では、オオサンショウウオの生態を詳しく学べる(参加者提供)
夜間観察会では、オオサンショウウオの生態を詳しく学べる(参加者提供)

 世界最大の両生類といわれる国の特別天然記念物、オオサンショウウオ。3千万年前から変わらぬ姿で生き続け、「生きた化石」とも呼ばれている。近年は日本の在来種と中国種との交雑種問題がクローズアップされているが、実は、寿命も生態もよく分かっていない“謎の生物”なのだ。そんなオオサンショウウオを約40年にわたって追い続け、山奥の廃校に移り住んでしまった男性がいる。

 兵庫県朝来市のNPO法人「日本ハンザキ研究所」の所長を務める栃本武良さん(74)だ。「ハンザキ」とはオオサンショウウオの昔の標準和名で、「大きな口を開くと半分に裂けているように見えるから」だと言われている。廃校となった小・中学校に研究所を構えたのは、館長を務めた姫路市立水族館退職後の2005年。校舎のそばに建つ教員住宅に移り住み、近くを流れる市川で生息調査を続けている。

 オオサンショウウオは夜行性のため、栃本さんは夜な夜な自転車で川に出かけてはオオサンショウウオを探し、見つけた個体に追跡のためのマイクロチップを埋め込んでいる。水族館時代から確認した個体数は1600匹を超え、うちマイクロチップを付けた個体は約970匹に上っている。

 山奥にたった1人で生活し、ひたすらオオサンショウウオを追いかける日々。何が栃本さんをそこまで駆り立てるのか。きっかけは、水族館勤務時代に子どもたちから受けた質問だった。

 オオサンショウウオの展示に集まってくる子どもたちから、幾度となく「これは何歳なの?」「何年生きるの?」と聞かれ、その度に言葉に詰まり、答えられなかった。「基本的な生態さえ不明なまま飼育展示するのは恥ずかしい」という思いから、1975年に調査を始めたのだという。

 最初の約15年間は、ひたすら捕まえては全長などを測定、登録するだけで目立った研究成果は出せなかった。しかし、90年ごろから環境に配慮した河川工事が広まり、工事の際に見つかった個体を預かるようになった。さらに、オオサンショウウオが産卵したり、身を隠したりする人工巣穴を研究所に設置したことで、生態の調査も進んだ。オオサンショウウオがおとなしくなる袋や、巣穴から卵を採取するL字型の器具なども自作したという。

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