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バブル時代の小泉今日子は過剰に異常だったか(上)

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助川幸逸郎dot.#小泉今日子になる方法

 どうすれば小泉今日子のように、齢とともに魅力を増していけるのか―― その秘密を知ることは、現代を生きる私たちにとって大きな意味があるはず。

 日本文学研究者である助川幸逸郎氏が、現代社会における“小泉今日子”の存在を分析し、今の時代を生きる我々がいかにして“小泉今日子”的に生きるべきかを考察する。

*  *  *
■「広告の時代」のCMクイーン

 広告の時代がやって来た――バブル経済前夜からその絶頂期にかけて、さかんにそんなことが言われました。

 その頃までに、家電や自家用車といった「生活に必要なもの」は、日本中に行きわたっていました。実用という観点からいえば、もはや庶民に買うべきものはありません。そうした状況で需要があるのは、「それを持っているとカッコいいというイメージがあるもの」です。このため広告という「商品のイメージづくりを担うジャンル」に関心が集まりました。糸井重里や川崎徹などの花形コピーライターは大芸術家のように扱われ、映画や音楽より真剣にCMが語られました。

 そんな風に広告が「時代の花形」だった頃、CM女王と呼ばれたのが小泉今日子です。「彼女を起用すると売り上げ2割アップ」と謳われ、化粧品、食品、家電、さまざまなCMの中で躍動していました。時流の先端で、小泉今日子は輝いていたのです。

 バブル期には、景気の良さに人心が浮かれていたためか、悪ノリ気味の企画が流行りました。小泉今日子は、その種のプロジェクトにも駆り出されています。雑誌「活人」の創刊号(1985年12月)では、全身黒塗りのビキニ姿で表紙に登場。巻頭グラビアでは、その黒塗りルックのまま火を吹いています。写真集『小泉記念艦』(86年)には、全身のレントゲン写真や「人拓」が掲載され話題を呼びました。

 世間がバブルに酔いしれる中、小泉今日子は、そうした空気に強く同調しているタレントに見えました。けれども、何かに共鳴しすぎた人物は、その何かが去った後、過去の存在になることは免れません。小泉今日子は、バブルが崩壊してから20年あまり立った今も、置き去りにされることなく生きのびています。

 バブルの渦中にいるかに見えた小泉今日子は、どうしてその後の時代にも対応できたのでしょうか。


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