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50年前「新幹線開業」の熱気 アサヒグラフはこう伝えた

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新大阪駅を出発する一番列車「ひかり2号」。テープを切るのは、八木利真・国鉄関西支社長(当時、中央)ら。/1964年10月1日午前6時。新大阪駅4番ホーム (c)朝日新聞社

新大阪駅を出発する一番列車「ひかり2号」。テープを切るのは、八木利真・国鉄関西支社長(当時、中央)ら。/1964年10月1日午前6時。新大阪駅4番ホーム (c)朝日新聞社

 ちょうど半世紀前の10月1日、東海道新幹線が開業した。朝日新聞社が1923(大正12)年から2000(平成12)年まで発行していたグラフ誌「アサヒグラフ」は、その直前の8月1日に臨時増刊を発行。写真をふんだんに使い、当時の熱気と世界最高の水準を誇った新幹線の魅力に迫力ある写真と文章で迫った。

 例えば、新駅をめぐる騒動。

 新幹線の駅は、立地自治体にはさまざまなメリットをもたらす。町は一変し、全国的にも注目度が高まる。人々はそう期待する。「岐阜羽島駅」(岐阜県羽島市)はその典型だろう。

 もともと設置が予定されていなかったとされる場所だが、地元選出の大物代議士で、当時、自民党副総裁だった大野伴睦氏の働きかけによって建設が決まった「政治駅」だといわれる。

 1959(昭和34)年に設置が決まると、当時の羽島市の堀順一市長は「百万都市構想」をぶち上げた。13キロ先の岐阜市まで幅100メートルの直線道路を通し、モノレールでも結ぶ壮大な計画。しかし、農地を取り上げられることに建設予定地の農業者たちが反発し、市役所は抗議のムシロ旗に囲まれた。市長はついに、失脚に追い込まれた。

 駅はできたが、岐阜羽島駅前は今、駐車場と田んぼばかり。2012年度の1日の平均乗客数は2812人で、東京―新大阪間の新幹線の駅の中では最も少ない。隣の名古屋駅まで新幹線で10分程度と近いことや、在来線とつながっていなことなどが原因とされる。

「同じ『田んぼの中の駅』で出発した新横浜駅が一大ターミナルになったのと比べると、あまりに対照的です」(岩倉高校の大日方樹教諭)

 開業当時から新幹線が「ATC(自動列車制御装置)」と「CTC(列車集中制御装置)」、2つの基本システムを備えていたことも、興味深い。新幹線は、営業開始以来、乗客の死亡事故を一人も出していないという“金字塔”を打ち立てているが、その「安全神話」を支えてきたのがATCとCTCだ。

 ATCは、列車同士の距離や線路条件に合わせ制限速度をコントロールし、運転士の意思にかかわらず自動ブレーキをかける。レールに信号電流を流して運転を制御するこのシステムは、戦前、日本軍が研究を進めていたものだ。それをもとに世界に先駆けて開発され、新幹線に導入された。

 CTCは、すべての列車を一括して管理する列車集中制御装置だ。新幹線全駅の発着信号、ポイント切り替えを、東京駅近くの中央指令所のコンピューターで集中管理している。

 ATCはいま、JR山手線や京王線などにも導入され、CTCによる運行はどの鉄道会社でも行っている。

「そんな技術が50年も前にすでにその技術を確立していたのは驚かされます」(大日方教諭)


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