ともあれ、日米間でのインカンバント・キャリアの認定とスターアライアンスへの加盟で、ANAの国際線事業はやっと光明を見いだせた。ビジネス路線に注力し、アライアンスを組む航空会社とのネットワークをフルに活用する。例えばマイレージ会員もANAだけならば3000万人弱だが、スターアライアンス加盟航空会社を加えれば2億人以上である。相互利用は1社ではなしえないメリットを生み出す。

 またデイリー運航にこぎ着けても、1日1往復のためだけに空港ラウンジを1社で運営するのは非効率だ。アライアンスのメンバー会社全体でラウンジ費用を分担し合えば、大幅なコストダウンになる。

 さらにはデータ通信回線の相互利用や燃料の共同調達など、コスト削減効果はあらゆる場面に及ぶ。

●「現在窮乏、将来有望」企業の意地

 それにしても、国際線の歴史は危機だらけだった。2001年のアメリカ同時多発テロ(通称9.11)、02~03年に蔓延した重症急性呼吸器症候群(SARS)、そして02年のJAL・JAS統合など、大きな事件に翻弄され続けた。9.11の直後は、シカゴ便のお客様がたった3人という日もあった。SARSの流行時には、お客様がほぼゼロの便もあり、「全日本空輸」ではなく「全日、空(毎日からっぽ)航空」と揶揄されたりもした。

 9.11ではシカゴ路線を一時休止したし、ワシントン便も減便した。02年のJAL・JAS統合では、それまでJALを凌駕していたはずの国内線までもJALに劣後するようになった。当時、ある方から「全日空さん、大変だね」と勝ち誇ったように言われ、私の闘争心に火がついたことを覚えている。JAL・JAS統合は我々の事業運営に大きな影響を及ぼしたが、同時に、全社員に危機意識が芽生え、それが次の成長への原動力になっていったことも事実である。

 アライアンスを活用した戦略が奏功し、国際線が念願の黒字化を果たしたのは04年度で、進出から18年を要した。「やっと」というのが本音だった。そして現在、羽田空港を国際線の拠点としても活用できるようになり、地方から羽田経由で海外へというルートもできるようになった。国際線と国内線がシームレスにつながり、いよいよ、ANAのネットワークを存分に生かせる環境が整ってきたのだ。

 振り返ると、国際線の黒字化は無配からの立て直しと軌を一にするし、JAL・JAS統合に対するかつてない危機感をバネに動いてきたと言ってもいい。

 赤字を続ける国際線の影響もあり、ANAは1997年度決算から無配に陥り、以後、6期連続で無配を続けた。2001年に社長に就任した大橋(洋治)は、「明るいリストラ」と言って、そのキャラクターを前面に出しながらも、厳しい経営改革に挑んでいた。改革は、路線の見直しやアライアンス各社間の連携強化、そして従業員の給与にも及び、その改革に聖域はなかった。

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