3月だというのに息子がインフルエンザに感染した。期末テスト前に珍しく机に向かっていて「僕が勉強するなんて熱でも出るんじゃないか」と笑っていたら、39度の高熱を出してしまった。慣れないことはするものじゃないのかもしれない。お医者さまに診察代630円を支払いながら私はそう思った。

 発熱中の息子の様子をこまめに見ながら、私はせっせと用事を片付ける。パーティーの招待状に返事を出したり、電子出版の契約書にハンコを押したり。お医者さまにいただいたクスリは、なかなか効いてこない。体温計は壊れたのかと思うくらい、高温に跳ね上がったままだった。

 3時間おきに氷まくらを取り替えたり、薬草のような気がして青汁を飲ませてみたり、私は息子のことがちょくちょく気になってなかなか仕事に集中できなかった。しかもちょうど、息子の私立中学中退エッセイのあとがきを書いているところだった。

 息子は私立中学で担任から半年以上指名をしてもらえないなどの陰湿ないじめを受け、退学した。あの時の悔しさを、私は体験記にしたのだ。それは、物書きとして、誰かにこの事実を伝えずにはいられなかったから。

 発熱している息子に居残り学習を強制された日のことは、今でも思い出すたびにつらくなる。息子は38度の高熱で家に着くなりぐったりとベッドに倒れ込んだ。インフルエンザで寝込んでいる現在の息子と、当時の息子の姿が重なる。

 あの時は耳の神経が膿んでしまったため、頬が真っ赤に腫れ上がり、私は一晩に何度もシップを貼り替えた。それでも熱は下がらずに、翌日の全国中学数学大会予選に、息子はフラフラになりながら挑んだ。あの時には、本当にずいぶん担任を恨めしく思ったものだ。でも感情をすべて文章にぶつけたから、今は怒りはほとんど湧いてこない。

 私はせっせと中学中退体験記のあとがきを仕上げる。書きながら途中で時々息子の様子を見に行った。やっと薬が効いてきたらしく、ぐっすり眠っている。彼だって、仮名とはいえ自分の経験が本になり出版されるのだけれど、熱のせいというわけでなく、特に感慨はなさそうだった。印税寄越(よこ)せとも言わなかった。

 私は息子が受けたいじめについて本を出す。いじめ周辺の人たちの誰かがこの本を読み、なんらかの参考になってくれれば幸いである。