第11回 小泉今日子VS宮沢りえ 美しく齢を重ねる方法はひとつではない? (1/3) |AERA dot. (アエラドット)

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第11回 小泉今日子VS宮沢りえ 美しく齢を重ねる方法はひとつではない?

文・助川幸逸郎

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■『グーグーだって猫である』宮沢りえ版と小泉今日子版の違い

 大島弓子原作・宮沢りえ主演のテレビドラマ『グーグーだって猫である』のDVDが発売になりました。犬童一心が監督をつとめたこの作品は、昨年、WOWOWでオンエアされたものです。

 犬童一心は2008年にこの『グーグーだって猫である』を、映画化しています。そのときの主演は小泉今日子でした。

大島弓子の手になる原作は、作者とその愛猫グーグーの共同生活を描くエッセイ漫画です。小泉今日子版も宮沢りえ版も、犬童一心による映像では「漫画家の小島麻子」と「猫のグーグー」が主人公になっています。

ふたりの「小島麻子」の違いについて、犬童監督はこう話しています。

<一番違うのは、小泉さんは物凄い大島弓子さんのファンで、大島さんの漫画を全部何度も読んでいるんですよね。(中略)小泉さんは、自分の中の大島弓子像が多分想像しやすくて、明確に『こういう人だろう』という下地がある人。宮沢さんは、そういうところからこの役にアプローチしていないというか、脚本も漫画も読んでもらったのですが、そこから同世代の女性として自分と麻子を照らし合わせて考えていく>(注1)

 小泉今日子も宮沢りえも、数々の映画に主演し、輝かしい受賞歴を誇る「大女優」です。ただし、演技者としてのタイプはまったく異なります。役ごとに体をつつむオーラの色まで変えてしまうほど、小泉今日子はさまざまな人間になりきります(助川幸逸郎「変幻自在だった『アイドル時代の小泉今日子』」dot.<ドット>朝日新聞出版 参照)。対照的に、どの作品に出ていても、独特の「透明な華やかさ」で画面を彩るのが宮沢りえです。

「小島麻子」を演じても、ふたりの「大女優」は、それぞれの持ち味を全開にします。

 小泉今日子は、原作に出てくる大島弓子とおなじ髪型で登場します。その髪に、「ご飯つぶがついてる」と周りから突っこまれる場面が、映画版には二度あります。小泉今日子演じる「小島麻子」は、このエピソードからうかがえるとおりの女性です。不器用でうまく生きられず、「自分自身とは別の何か(漫画とか、小説とか)」に託さなければ自分を表現できない。他人に気をつかいすぎて空まわりするので、すっかり心を許せるのは愛猫だけである――少女漫画と猫のおかげでかろうじて生きているキャラクターを、小泉今日子はみごとに体現しています。

 宮沢りえの「小島麻子」は、漫画を描く人間には見えません。「自分自身とは別の何か」にエネルギーをゆだねていては、これほどの存在感は醸し出せない――そう思わせる風情を漂わせています「生身の自分」がそのまま「自己表現のメディア」になっている特異な女優。それでいて宮沢りえは、「小島麻子」という役に不思議なほどなじんでいます。

 大島弓子の作品ではしばしば、「尊いけれど、この世には長くとどまれない儚いもの」が重要な役割を演じます。「小島麻子」になっているときの宮沢りえは、そうした「儚いもの」とおなじ表情を浮かべています。「大島弓子が絵に描いた人物」に見える瞬間が、宮沢りえの「小島麻子」にはあるのです。

『生徒諸君』のマールをはじめ、「儚いもの」を演じることは、若いころから小泉今日子も得意でした。にもかかわらず、宮沢りえのような「小島麻子」像をつくりあげるつもりは、小泉今日子の念頭になかったようです。

<この映画、アイドル映画みたいじゃありません? 私の、じゃなくて猫さんの>

 映画版のDVDのメイキング映像で、小泉今日子はそう言っています。この作品に「尊いけれど儚いもの」として映るべきは、「自分」ではなく「猫」である――それが小泉今日子の判断だったのでしょう。

 自分の中の「尊いけれど、儚いもの」を、猫や作品に投影させる大島弓子――小泉今日子がつかまえようとしているのはそれです。自分自身が「儚いもの」と化す宮沢りえと、どちらが「大島ワールド」にふさわしいか、甲乙は簡単につけられません。


■小泉今日子と宮沢りえ 生きのびられたそれぞれの理由

 小泉今日子は演技のなかで「自分の生身の肉体」の気配を消すことができます。だからどのような役もこなせるし、「浮世ばなれした存在」になるのも巧みです(映画版『踊る大捜査線』シリーズで演じたサイコパスの殺人鬼・日向真奈美は迫力がありました)。「儚いもの」を演じられるのも、おそらく同じ理由からです。

 宮沢りえは、幼少時代に両親が離婚しました。その後、母親の新しいパートナーと暮らしたり、親戚の家に預けられたり、複雑な環境で成長しています。小学校高学年のころからCMに出演し、「美少女タレント」としてブレイク。歌や演技にも活動の場を拡げ、1980年代末から1990年代初めにかけて、絶大な人気を得ていました。1992年には、篠山紀信撮影によるヘアヌード写真集『Santa Fe』を発表。18歳の若さでこうした作品を世に問うたことは、芸能ニュースの域を越えて話題になりました。


(更新 2015/8/ 5 )


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プロフィール

助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)

 1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など

※当コラムをテーマにした、助川幸逸郎先生の講座をよみうりカルチャー自由が丘で開催
http://www.ync.ne.jp/jiyugaoka/kouza/201504-01210123.htm
問い合わせは同センター 03-3723-7100

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