【Vol.31】東京から世界へ発信。デザイナー・皆川さんのものづくりの根っこにあるもの |AERA dot. (アエラドット)

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東京を拠点に、自身のブランド「ミナ ペルホネン」を手がけて25年が経とうとしている皆川明さん。皆川さんにとって東京とは、どんな場所なのかを語ってもらいました。

【Vol.31】東京から世界へ発信。デザイナー・皆川さんのものづくりの根っこにあるもの


 皆川さんが生み出すデザインには、「花」「星」「森」「鳥」「光」「雪」など、自然のモチーフが数多く使われています。一方で、皆川さんが育ったのは大都会・東京。幼少期を送ったのは大田区蒲田でした。

「自宅の近所に青果市場があったんです。お昼には終わるので、午後からは子供たちの天下です(笑)。積み上げられた段ボールの中でかくれんぼをしたり、台車に乗って競争をしたり」

 小さい頃の夢は宮大工さん。その夢も、蒲田の原風景が影響しています。

「蒲田は京浜工業地帯の端っこで、町工場がたくさん並ぶ街でした。木材屋さんとか、旋盤の工場とか、溶接をしているおじさんの働く姿を見ながら大きくなりました」

テキスタイル「fogland」(c)sono

 蒲田では、地元のお祭りでお神輿を担いだ思い出があるといいます。そして服づくりを学んだ、新宿の文化服装学院では、同校名物の文化祭で同級生たちとともにファッションショーを開催。

皆川さんは「決して自分だけでものづくりをしているわけではない」と語ります。

「誰かの力を借りていいものができたなという満足は、個人がひとつよいものを作ったなという満足を超えます。だから、『誰かのため』は『自分のため』。同時なんですよね。たくさんの人が喜ぶことは、自分たちが嬉しいことだし、作る人と使う人の両方を考える、ということはデザインをする上でとても面白いことです」

 文化服装学院の夜間部に通っていたころ、昼間にアルバイトをしていた練馬区の縫製工場。この工場では、いまも服を縫ってもらっているといいます。また独立してアトリエを構えたのは八王子。当時は機屋とか染め屋など、東京の繊維関係の工場が多くありました。

「自分ひとりが手がけたほうが、思い通りになるかもしれないけれど、それは自己完結にしかなりません。他者と一緒にものづくりをすることで、他者の生活と共に仕事が成り立っていく。そこを大切にしています。自分がやりたいクリエーションをしながら、社会への貢献が広がる、というのが一番の目指すところですね」

(c)Manami Takahashi

 今も皆川さんの服づくりに欠かせないのは、刺繍、織り、プリント、縫製工場。いずれも小さな工場ばかりですが、皆川さんは彼らとの働き方をあえて「大量生産」と表現します。

「大量生産というと、たくさん作って売れなかったら処分するというイメージでしょう? でも適量を長い期間にわたって生産することで、工場は安定して同じ仕事ができ、働く人たちの仕事が続いていく……。結果的に、生涯を通じて作る量が『大量』になる、というのが正しいと思うんです」

 お祭りの思い出、その根っこにある感謝、そして皆川さんの服づくり。それは全てつながっていました。

語り:皆川明

デザイナー。1995年にファッションブランド「ミナ」を設立(2003年から「ミナ ペルホネン」)。16年に「平成27年度 芸術選奨文部科学大臣新人賞」を受賞。19年には東京都現代美術館で、ブランドと皆川さんのものづくりや世界観を紹介した展覧会「つづく」が開催された(2020年6月より兵庫県立美術館に巡回予定)。

取材・文:一田憲子

本企画は『東京の魅力発信プロジェクト』に採択されています。
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