「0メートル地帯を行く都電」のフレーズに相応しい旧中川を専用橋で渡る25系統須田町行きの都電。小松川三丁目~浅間前 (撮影/諸河久:1964年12月19日)
望遠レンズが描写する勾配と曲線軌道のパースペクティブ。往時の小松川線は路面電車ファンを魅了するフォトジェニックな路線だった。小松川三丁目~浅間前 (撮影/諸河久:1964年12月19日)
流線形時代に生まれた1200型の車体を延伸改造したのが1500型で、乗車定員が64名から96名に増加した。錦糸堀車庫に全車46両が配置され、25・29・38系統で1971年まで使用された。浅間前(撮影/諸河久:1964年6月21日)
周辺を工場に囲まれた生活感溢れる小松川三丁目停留所は、都電の踏切を挟んで相対に設置されていた。(撮影/諸河久:1964年6月21日)
「荒川区全図(1932年)」から抜粋した小松川周辺図。城東電軌小松川車庫の位置と線形が判読できる。(出典/江戸川区立図書館 デジタルアーカイブ)
方向幕に小松川車庫前と掲示した城東電気軌道の70型。1929年の汽車製造製で、市電編入後30型37となったが、東京大空襲時に城東車庫に改称されたこの地で焼失した。小松川車庫(撮影/宮松金次郎:1932年頃)
破損して傾いたビューゲルで西荒川に向かう25系統の都電。画面右側が旧城東車庫の跡地と思われ、コンクリートの建物は旧変電所ではないかと推察する。小松川三丁目~小松川四丁目(撮影/諸河久:1964年6月21日)