1997年の準々決勝、敦賀気比vs前橋工は、捕ゴロの間に二塁走者が長駆サヨナラのホームを踏むというまさかの珍幕切れとなった。
4対4の同点で迎えた延長10回裏、前橋工は先頭の滝沢真澄がショートへの内野安打で出塁。送りバントで1死二塁とした。
一打サヨナラのチャンスに4番・寺内弘和は投前に当たり損ねのゴロ。捕手・金岡哲男が前進して捕球し、一塁に送球して2死となった。
だが、このプレーで本塁はがら空き状態。これを見た二塁走者・滝沢は三塁に止まることなく、一気にホームを突いた。「僕より先に滝沢が判断して走っていった」という三塁コーチャー・田島亮も「行けえ!」と言いながら、一緒になって走り出した。
一瞬の隙を突かれた形の金岡は本塁に戻るに戻れず、「最後は腰が抜けて座り込んでしまった」。マウンドの三上真司(元ヤクルト)もベースカバーが遅れ、「気づいたときには、ランナーが(三本間の半分くらいまで来ていた)」と呆然とするばかり。
この間に「無我夢中でした。ホームしか見えなかった」という滝沢が無人の本塁にヘッドスライディングして、捕ゴロで二塁から一挙生還という珍サヨナラに。
殊勲の滝沢は、実は背番号14の控え選手で、甲子園入り後、バントの巧さを買われて、初戦(2回戦)の丸亀城西戦から2番打者に抜擢されたラッキーボーイ。丸亀城西戦では背番号13の北川敬寛があわやサイクル安打の大活躍を見せるなど、いささかも気を抜くことができないチーム内の激しいポジション争いが延長10回の好判断と激走を生み出し、チームを関東勢では1961年の法政二以来36年ぶりの2年連続4強入りに導いた。