ようやく田島さんに落ち着いた日常が戻ってきた頃、少しずつ彼とのつき合い方に心境の変化が出てきて初めて結婚をきちんと意識したという。

「前にも話したようにつき合い始めた当初、結婚はまったく視野に入っていませんでした。でも、転職したり、親の介護があったりなど大変な問題が一気に押し寄せてきて、そのとき彼のひと言ひと言が心にしみ、ささくれだっていた心が穏やかになっていきました。かさぶたがふさがっていくような感じになったのを覚えています。彼も転職して大変な時期だったのにね。彼のやさしさを改めて認識し、結婚を考え始めました。『もうこの先、彼以上にやさしい人は現れないだろうな』、『死ぬまでずっと一緒にいたいな』と、若い頃には思わなかった感情がフツフツと沸いてきて結婚を決意しました」

 田島さんのそんな心境の変化に気がついた彼がプロポーズ。田島さんも、このときは、もう迷うことなく、素直な気持ちで受け入れられたと話す。

「最初は結婚なんて今さら、面倒だなと思っていましたが、本当に彼のやさしさに触れ、感激しました。それに自分のことを心から大切に思って愛してくれていることがヒシヒシと感じられたので、ふたつ返事でOKしました。『人生って何が起こるかわからないから、面白いよ』と若き日の自分に言ってあげたい(笑)ですね」

■結婚までに姉との間に一波乱雨降って地固まる

 ふたりとも、いわゆる世間で言うトウの立った年齢だったこともあり、結婚式は地元の神社でふたりだけで挙げ、披露宴は田島さんの叔父さんが企画してくれて地元のレストランで両家だけで食事会をした。

「今さら感があるので大々的な披露宴は恥ずかしいというのがふたりの一致した気持ちでした。でも、親やお世話になった人には感謝をしたい、それとやはり、両家に対してけじめをつけるという意味もあり、食事会を開きました」

 しかし、食事会を開くまで田島さんの姉妹間で一波乱あったという。

「結婚報告をしたとき、親は手放しで喜んでくれました。しかも、母親と義母が昔同じ会社の先輩・後輩だったことが判明。ですから、母は彼のことは少なからず知っていたので『これも何かの縁かもしれない』と思ったそうです。しかし、双子の姉が、あまりいい顔をしませんでした。実は姉も結婚しておらず、これからもずっとふたりで親の面倒を見て介護をしていくことが暗黙の了解。もちろん、私もそのつもりでした。でも、私が結婚することになり、家を出ていくことになって、姉はまさか、そんな展開になるなんて想像もしていなかったのでしょう。だから、姉の中で、混乱と嫉妬などさまざまな感情が噴出して、嫌味を言ったり、難癖をつけたりしたんだと思います。それに双子ゆえに思いも複雑だったのかもしれませんね。もし、私が姉の立場だったとしても、すぐに素直に祝福できたかどうかわかりませんね」

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