一方、安倍総理が関心のない事項については、官僚は何でも好き勝手にやりたい放題が許されている。だから、触らぬ神に祟りなしで、安倍政権の悪政には一切異を唱えず、安倍総理の関心事には、条件反射的に最大限忠誠を尽くす。そして、トラブルを起こさず何事もなければ、官僚利権の天下り拡大などにせっせと励んで、事務次官の覚えをめでたくしようと考える役人が非常に増えてしまった。
かくして、霞が関は、「崩壊の危機」に瀕しているのだ。
■「忖度の連鎖」で改ざんする官僚の性弱説
今回の文書改ざん疑惑が事実であったとしたら、それは、近畿財務局が、一連の忖度行為の一環として自発的に行った結果だと考えても不自然ではない。
一方、これだけの重大な不正を働くのはリスクが大きすぎると考えて本省の指示を仰いだ可能性も十分あるし、その前に本省の方から指示がなされたことも考えられる。さらには、官邸からの指示だった可能性も否定はできない。
今後は、文書改ざんについて、誰の責任かという点が大きな議論になるだろう。しかし、改ざんについて本省の指示ないし承認があったかどうかは問題の本質ではない。ましてや、本省の関与が証明されなければ、現場の不祥事で終わりという考え方は採ってはいけない。
なぜなら、この問題は、森友側へ破格の安値で土地売却を行ったことから始まったからだ。その時点では、安倍昭恵総理夫人の力が働いたのは明白だ(財務省の官僚は他省庁の役人より格上。ノンキャリはキャリアよりもはるか下の存在。年次も1年違えば虫けら同然と言われるほどの序列社会。その中で、経産省のノンキャリの課長補佐クラスの当時の昭恵夫人秘書・谷査恵子氏からの問い合わせに、財務省のキャリアの管理職が丁寧に文書で回答するのは異例中の異例。昭恵夫人案件だったからそれが可能になったことは霞が関の官僚100人に聞けばほぼ全員がそうだというはずだ)。
そして、その後は、「忖度の連鎖」で、最後はこの改ざんという不正に行きついた。そう考えれば、改ざん行為はそれだけを独立の不祥事として扱うのではなく、森友疑惑の一環として位置付けるべきである。