日本が殖産興業、富国強兵の近代化に歩みだした1868年の明治維新から、今年で150年になる。信用調査会社の東京商工リサーチが有する約310万社のデータベースのうち、明治時代に創業した老舗企業は2万1799社ある。
商工リサーチ情報本部・経済研究室の関雅史課長は明治創業企業について、酒類関連など生活に密着した事業や、温泉旅館などを営むところが多いと話している。これまでには他社と合併したものや、業態転換するなどで存続しているところもあるという。
例えば、普段の食生活でなじみのある奈良漬けを製造販売する老舗がある。奈良漬けは白うりなどの野菜を塩漬けし、酒粕に何度も付け替えたもので、今では奈良県以外でつくったものも奈良漬けと呼んでいる。古くは1300年ぐらい前の長屋王邸跡から出土した木簡に記載があり、室町時代には奈良市南東にある菩提山正歴寺で清酒造りが始まった際に清酒と酒粕ができて、その酒粕に野菜を漬け込んだものが奈良漬けの基本形になったという。
こうした由来をホームページ(HP)に掲載するのは、奈良市にある森奈良漬店。奈良漬けが商品として売り出されるのは江戸時代末期で、森奈良漬店は東大寺境内で明治2年に開業した。1942年には現在の住所へ移転したという。
一方、焼酎といえば九州、鹿児島を連想するが、鹿児島県で最も古い焼酎会社とHPに掲げるのは白金酒造だ。鹿児島市と霧島市に隣接した姶良市にあり、明治2年に川田和助が川田醸造店として創業したという。
西郷隆盛もその蔵を訪ねており、西南戦争の際には蔵の焼酎をすべて買い上げたとの逸話がある。大正時代初めには白金乃露と銘柄を改めた。その際、従来は別の材料を使用していたのに対し、現在のいも焼酎となった。白金乃露シリーズは白金酒造店の主力焼酎として今日に至っている。焼酎造りは体得するもので長年の経験と勘の世界であり、大切なのは人で、昔ながらの仕込み方で伝統の味を守っているという。
東京の日本橋では同じく明治2年、すき焼き屋が創業している。すき焼きと、その後に加わった牛佃煮を二大看板とする伊勢重である。6代目の宮本重樹社長によると、江戸時代中ごろに伊勢から出てきて骨董商などを営んでいた先人が牛鍋屋を始めたという。当主の体が弱く、薬食いとして牛肉に注目していたところ、明治5年1月に天皇が牛肉を食べてから、牛肉の食文化が人々に浸透していき、商売の基礎が確立したとしている。