お寺巡りをしていると必ずめぐり会うものがある。「有名人のお墓」だ。歴史の教科書で習った人だったり、大名家のものだったり。中でも芸能人・スポーツ選手のお墓は特に注目されるようで、没後かなり経っていてもファンの人たちから贈られるお花などできれいに彩られていることが多い。今回はそんな有名人のお墓にスポットを当ててみたいと思う。
昨日11月10日は、国民的俳優・高倉健さんの命日だった。亡くなられてからちょうど3年になる。三回忌を済ませたこの春、健さんの墓碑が鎌倉のお寺に建てられたのだが、ほんの少しの縁がありこの墓碑を取材させていただく機会を得た。有名人のお墓の話はまずはこの健さんの墓碑からはじめてみよう。
●高倉健の墓碑は鎌倉の大本山に
高倉健さんは生前から浄土宗と深い関わりを持たれ、故郷・福岡のお寺の住職と親しくされていたほか、「公益財団法人浄土宗ともいき財団」(旧・報恩明照会)が作る『法然上人をたたえる会』の会員でもあった。この縁もあって、鎌倉の浄土宗大本山・光明寺の境内へ墓碑が作られることとなったのである。
同じく鎌倉に宝戒寺という北条氏の霊を弔うため、足利尊氏が建立したお寺がある。あまり知られていないが、ここへ健さんは、毎年卒塔婆(そとば)を奉納されていた。これは、健さんの家が鎌倉幕府の最後の執権・北条高時(14代)につながる末裔(まつえい)であると伝えられていたためである。
光明寺の開基は北条経時(4代)。鎌倉の大寺へ高倉健の墓碑が作られたのはこのようないくつかの「縁」があってのことだと関係者たちは言う。
墓碑の高さは180センチ。健さんの身長と同じで、彼の映画人生を表現するように作られている。山門脇の特等席にある墓碑は、シンプルで堂々としている。建立以後、ファンや関係者が日々手を合わせているようだ。
<光明寺 神奈川県鎌倉市材木座6-17-19>
●石原裕次郎のお墓は横浜の大本山に
2017年は没後30年という区切りの年だった石原裕次郎さん。お墓は横浜にある曹洞宗の大本山・總持寺にある。ここに裕次郎さんが眠るのは、この辺りで主演映画「陽のあたる坂道」のロケをした折、海の見える景色を気に入り「ここにお墓を!」とのご本人の意向があったとも、石原家の菩提(ぼだい)寺では有名人のお墓を管理しきれないため、ご住職が大本山へ案内したとも言われている。いずれにしても、法要の度に大勢が詰めかけている現状を鑑みれば、境内も広く、管理するお坊さまもたくさんいる總持寺でなければ耐えられなかったかもしれない。
今も裕次郎さんのお墓にはいつでも花が供えられている。
<總持寺 横浜市鶴見区鶴見2-1-1>