ニューヨーク、セントラルパーク「ストロベリー・フィールズ」の「イマジン・モザイク」=2003年2月(撮影/大友博)
ニューヨーク、セントラルパーク「ストロベリー・フィールズ」の「イマジン・モザイク」=2003年2月(撮影/大友博)
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大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など
大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など

 10月9日はジョン・レノンの誕生日で、生きていれば77歳を迎えたことになる。音楽ライターの大友博さんが、ジョン・レノンの誕生日について語る。

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 ようやく秋の訪れを実感できるようになったころ、毎年、あの芸術家の誕生日がやって来る。そう、ジョン・レノン。1980年の12月に亡くなっていなければ、今年10月9日、彼は77回目の誕生日を祝っているはずなのだ。

 はじめて、「ビートルズの」ということではなく、ジョン・レノンの存在を意識して聴いた曲は、「ヘルプ!」だったと思う。そのつぎが「ノウホエア・マン/独りぼっちのあいつ」。どちらも65年発表の曲であり、当時小学6年生だった僕に、歌詞はもちろん、そこに込められた深い想いを理解できるわけはなかったが、なにかを感じてしまったのだった。

 そして、かなり時間がたってから、あの時期がソングライター=ジョン・レノンにとっての大きなターニングポイントだったことを知った。絵空事ではなく、自分の暮らしや想いのなかから言葉とメロディを紡ぎ出し、普遍的な意味を持つ作品へと仕上げていく。そういうことではないだろうか。そして、その生き方を貫き、時代と向きあいながらソングライターとしての自分を高めていく過程で、あの名曲「イマジン」が生まれたのだ。

 神無月を迎えてすぐのある日、キズだらけの古いレコードを聴きながら、あれこれと想像してみた。たとえば、北朝鮮のミサイルをミサイルで撃ち落とす技術や方法論、可能性や確率を熱心に語りあう人たちに「そんな馬鹿げた話はもうやめましょうよ」と優しく語りかける声を。あるいはまた、軽井沢の離山の夕景を眺めつつ筆をとり、自画像の横にあの独特の書体で「喜寿」と書き込む姿を。

 同時多発テロから1年半後の2003年2月、仕事で訪れたニューヨークの街には、世界がまた一歩、危機的な状態に向かって進んでしまうのではないかと思わせる、なんとも表現しがたい嫌な空気が漂っていた。実際、その1ヶ月後には米軍を主体とするいわゆる有志連合がイラク侵攻を開始することになる。

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