中村錦之助さん (C)朝日新聞社
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松本留美さん (C)朝日新聞社
松本留美さん (C)朝日新聞社

 1971年の大河ドラマ第9作目の「春の坂道」は、柳生宗矩を主人公にした山岡荘八の書き下ろし小説を原作としている(講談社刊『 山岡荘八全集』28/29巻 『柳生宗矩1-2(春の坂道)』)。

「三姉妹」では成功しなかった原作書き下ろしシステムから生まれた小説「春の坂道」は50万部を超えるベストセラーになり、テレビと出版の初のメディアミックスの成功例としても記憶されている。

 チーフ・プロデューサーを務めた硲光臣氏は、「この企画を山岡荘八氏に持ち込んだところ、偶然にも山岡氏も宗矩のことを書こうと思っておられたことから話はトントンと進み、大河ドラマ史上初の原作書き下ろしの実現となりました」(NHKアーカイブス)と語っている。

「春の坂道」は、家康・秀忠・家光の徳川三代将軍に仕え、体得した剣と禅の道を政治や教育の場に生かした剣術家・柳生但馬守宗矩の一代記で、当時140本を超える映画に出演した時代劇映画のトップスターだった中村錦之助が宗矩に扮した。

 宗矩の妻で公家の出の烏丸順子(のりこ)に扮したのが、当時20歳で「劇団雲」の研究生だった松本留美さん(現在は演劇集団 円に所属)だった。松本さんはその頃のことを次のように回想する。

「『春の坂道』の制作が始まった1970年、私は劇団雲の研究生でありながら本公演の『ロミオとジュリエット』のジュリエット役で主演し、それをNHKの方が見てくださって出演が決まりました。大河ドラマへの出演、大スターの錦之助さんとの共演にあまり恐れを抱かなかったのは、若さ故だったと思います」

 順子は15歳で宗矩に嫁ぎ、宗矩がみまかった後は尼として墓を守り、90歳まで生きたという女性だが、実在したかどうかは不明だ。

「錦之助さんがメイクを施し衣装を着けてスタジオに表れると、そこはもう宗矩が生きていた江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気になりました。そうさせたのは錦之助さんが放つオーラのようなもので、本当に彼は光輝いていました。これがスターなんだと痛感した記憶があります。そんな大スターと共演したことが今思うと夢のようです」

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