ここ数年、マンガ業界で顕著なひとつの潮流――インターネット上で無料公開・連載されるマンガが注目を集め、ベストセラーになる。小学館が運営するアプリ「マンガワン」とサイト「裏サンデー」で連載中の格闘マンガ『ケンガンアシュラ』もこうした潮流を象徴する作品のひとつだ。
その制作現場の取材のはずだった。だが、記者の目の前で繰り広げられているのは、一般的にイメージされる「マンガ制作」とは似ても似つかない光景。小学館の会議室で2人の男がくんずほぐれつ、関節技を掛け合っている。
相手の右腕を腕ひしぎ十字固めで締め上げる男の名はマンガ原作者、サンドロビッチ・ヤバ子氏。腕ひしぎを受けながら、技のかかり具合を見守る男は小学館のマンガ編集者・小林翔氏。ふたりは『ケンガンアシュラ』の制作者だ。
彼らは何をしているのか。記者の問いに、こんな返事が返ってきた。「打ち合わせです――」。
人気マンガの制作の舞台裏では何が行われているのか。それを取材すると、ヒット作がヒットするだけの所以と、男たちの創作にかける熱い想いが浮かび上がってきた。
■なぜ彼らは戦うのか
マンガ制作において、打ち合わせは作者と編集者の「バトル」と形容されることがある。
作者の頭のなかには理想とするストーリー展開やキャラ設定がある。だが、それが必ずしも読者にウケるとも限らない。そんなとき編集者は、自身の経験や客観的な見地から変更を提案するが、作者にも譲れない一線がある。結果、打ち合わせはバトルのごとく紛糾し、こうして流された汗が作品を面白くしていく。
とはいえ、文字通り作者と編集者が打ち合わせ中にバトルするマンガはなかなかお目にかからない。
「『あしたのジョー』や『タイガーマスク』を原作した梶原一騎氏は、打ち合わせ中に実際に組手をして技の見栄えを確認していたという逸話がありますが、確かに最近のマンガではあまり聞きません」(原作者のヤバ子氏)
なぜ彼らは技を掛け合う必要があるのか。この問いに「技を繰り出したときのディティール(細部)を確認するため」という答えが返ってきた。
『ケンガンアシュラ』はどんなマンガなのか。世間の名だたる大企業は秘密裏に「闘技者」と呼ばれる格闘家を雇っており、事業の入札などの利権を賭けて各社の闘技者が戦うという設定。個性的なキャラクターや、少年漫画らしいケレン味溢れる展開に定評があるが、それと並ぶ人気の要となっているのがリアルな格闘描写だ。そして、そうした描写を支えているのが先述の“打ち合わせ”なのだという。
「例えば、実際に試合をすると選手は絶えず動くので、練習のように綺麗な形で技が出るのは不自然、という思いがあります。だからあえて技の形を崩してみたり、無理な体勢から繰り出した技がどのような形になるのか検証してみたりします」(ヤバ子氏)
好例が『ケンガンアシュラ』第13巻、14巻で描かれた、ボクシングのヘビー級王者「ガオラン」と古武術を使う「金田」の一戦だ。設定上、身長187cmのガオランと170cmの金田ではフィジカルに圧倒的な差があり、金田が勝つ見込みはかなり薄い。いわば強者と弱者の戦いだが、ヤバ子氏と小林氏は組手を繰り返し、金田が躱せる攻撃、躱せない攻撃を確認しつつ、説得力のある反撃の一打を探っていった。