「ボールを深く打つ。前に入り込み、攻撃的にいく」
それら基本を心がけた上で、「バックハンドで相手のフォアを迷わず攻め、中途半端なボールは打たない」ことを決意する。ベルダスコが得意とするパターンは、コート中央付近のボールに対し回り込み、左右いずれにも打ち分けるフォア。その武器を封じるためにも相手のフォアサイドを鋭角に攻め、同時に、長いラリーをも恐れぬ心を彼は決めた。
この錦織の覚悟が、ベルダスコを惑わせる。
「何があったのか分からないが、彼は明らかにプレーの質を上げてきた」
今までは簡単に決まっていたフォアの逆クロスが打ち返され、深いストロークに差し込まれ出したベルダスコにミスが増える。
対する錦織は、ラリーを重ねるごとに自信を回復し、ポイントを奪うたびに「徐々に攻略法が見えてきた」。特に第2セットの終盤から、バックのクロスのみならず、ダウンザラインへと打ち込む強打もライン際を捕らえ始める。混沌とした展開の中から最後に抜け出した錦織が、第2セットを奪い返した。
錦織の復調を認識したベルダスコがプレーのレベルを一段引き上げ、しかしそれを上回る加速で心身を研ぎ澄ます錦織の猛追が拮抗したのが、第3セットの第7ゲーム。
サイドラインと相手のリーチのわずかな隙間を、針の穴を通すように貫くバックの強打。あるいはストレートに切り返す気配を漂わせつつ、そのまま鋭角にバックのクロスを叩き込む――精度を増す錦織のストロークが、幾度もブレークの機を引き寄せる。圧巻は4度目のデュースで繰り広げられた、両者20を重ねた長く激しく熱いラリー。左右に走り、必死に凌いだ錦織の浮いたボールを、ベルダスコがスマッシュで打ち返す。しかし次の瞬間、両手で振り抜く錦織のバックハンドがボールを捕らえ、相手コートを斜めに切り裂いた。膝に手を当て息を整える錦織の背に、割れんばかりの拍手と歓声が降り注ぐ。
この一撃で観客をも味方につけた錦織は、6度のデュースの末に、ついにブレークを奪い取る。そしてこのゲームを境に、試合の展開は劇的に反転した。以降の9ゲームで、錦織は相手にわずか1ゲームしか与えない。勝利の瞬間に見られたのは、派手なガッツポーズではなく、安堵と疲労、そして達成感が入り交じる表情だった。
試合後の錦織は大きな疲労を認めながらも、「それはみんなに言えること」と、決して言い訳を求めない。
「このタフな2試合を勝ち上がってこられたのは、大きな自信になる」
苦しみと等価の手応えを握りしめて、全仏オープンで2年ぶりの8強進出。次はいよいよ、世界1位のアンディ・マリーとの戦いに挑む。(文・内田暁)