シングルスで銅メダル獲得、団体でもエースとしてチームを決勝に導いた水谷隼。(写真:Getty Images)
シングルスで銅メダル獲得、団体でもエースとしてチームを決勝に導いた水谷隼。(写真:Getty Images)
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 連日、日本人選手のメダルラッシュに沸くリオ五輪の競技中継では「悲願達成」というセリフをやたらと耳にする。

 それは、男女ともメダル争いに絡んだ卓球も例外ではない。「悲願」はもはや常套句となっている印象さえある。とりわけ、卓球男子で連発される「悲願」には、どんな“重み”があるのだろうか?

 18日朝(日本時間)に行われる団体決勝を前に、卓球が1988年のソウル五輪で正式競技に採用されてから今日までの男子卓球チームの足跡をたどってみた。

 シングルスと団体戦で争われる今日の五輪と異なる。ソウル大会ではシングルスとダブルスが行われ、現・日本卓球協会副会長の前原正浩氏が監督を務めた。出場した4選手の中には、2004年アテネ、08年北京、12年ロンドンの3大会で日本代表監督だった、若き日の宮崎義仁氏(現・JOCエリートアカデミー総監督)もいたが、結果はダブルスは予選リーグ敗退。シングルスは小野誠治氏だけが決勝トーナメントに進んだが、1回戦で姿を消した。

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