「たぶん18カ国の人が来ているんじゃないかな」

 そう語るシディキさんはパキスタン南部の商都カラチの出身だ。現地で日本語を学び、1982年に国費留学生として来日。卒業後はエンジニアとして働きながら、「マスジド大塚」の運営にボランティアとして関わっている。

「私が来たばかりの頃は本当にたいへんでした。当時の日本にはモスクもないし、ハラルフード(イスラムの戒律に則って処理され、食べることを許された食品)もほとんどなかった。なんとか戒律に背かない、魚や野菜などを出してくれる定食屋に通いつめたりしてね」(シディキさん)

 しかしバブル時代には、労働力としてイスラム圏の人々が日本にたくさん流入するようになった。不法就労も多く、問題ともなったが、イスラムの文化が日本に根づくきっかけでもあった。いまでは留学生が増え、また商売のために日本と行き来するイスラム教徒も多い。

「2000年代に入ってからは、9.11に端を発する『テロとの戦い』の流れのなかで、欧米諸国ではハラスメントを受け、肩身が狭くなったことも、日本にイスラム教徒が増えた一因」(マスジド大塚の参拝者)だという。

 こうして日本にはモスクやハラルフードの店が急増し「暮らしやすくなった」と誰もが言う。

 だから地域への恩返しは常に考えている。大塚の商店街で行なわれる、さくら祭りや、阿波踊りには必ず参加し、ケバブなどの屋台を出店する。モスクの見学はいつでも受け入れている。毎週土曜の夜には食事会を催し、おいしいカレーを提供。いまでは役所や学校から、異文化を知るための勉強会の申し込みもあるという。

 ホームレスへの炊き出しも行っているし、東日本大震災や地震など災害が起きれば必ず寄付をする。また直接現地に乗り込んでの支援活動も続けている。

 一見すると地域に溶け込んでいるマスジド大塚だが、イードに非イスラム教徒の日本人は少ない。

「もうちょっと地元の人が来てほしい。そういう雰囲気をつくらなくちゃね」(シディキさん)

 お祭りに興じる人々を、警察官が監視するように警備しているのも印象的だった。

 影を落としているのは、イードの直前、7月1日にバングラデシュで起きたテロだ。7人の日本人が殺害された。過激派組織イスラム国が犯行声明を発表している。ひたひたと東に伸びてくるイスラム国の脅威を、日本人が実感した出来事だったかもしれない。イスラム教徒に縁のない日本人が、警戒の目で見るのも無理はない。

「イスラム国と名乗っているが、彼らをイスラム教徒と思いたくはない。イスラムとはもともと『平和』を指す言葉です。世界中のイスラム教徒が苦難を共有するラマダーンの期間にテロを起こすなど許せない」(シディキさん)

 日本に暮らすイスラム教徒はいま、動揺している。欧米のように日本でも迫害されるのではないか。

 しかし、シディキさんは静かに言う。

「いまの時代、日本人のなかに神を見出すことはできません。しかし、日本人の持つ美しさ……勤勉、人のためになることをする、嘘はつかない、おもてなしをする……こういった『道』や『道徳』は、神でしか教えられないものがあると思います。それを日本人は自然に身につけている。私はそんな日本の皆さんを、信じています」

(文・写真/室橋裕和)