ドイツ、フランスとともにEUの中心にいた英国はなぜ離脱を決めたのか?(※イメージ写真)
ドイツ、フランスとともにEUの中心にいた英国はなぜ離脱を決めたのか?(※イメージ写真)
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 欧州が揺れている――。

 6月24日、世界中に衝撃を与えた、英国の国民投票によるEU(欧州連合)離脱。その後、残留を求める機運が高まったものの、辞任したデービッド・キャメロン首相の後任となったテリーザ・メイ氏は「EU離脱を成功させる」と決意表明した。

 メルケル独首相は「英国とEUの交渉の道は険しい」と発言。英国とEUの溝は当面の間、埋められそうにない。

 自由と平和の理念を掲げ、理想の国家共同体を目指したEU。ドイツ、フランスとともにその中心にいた英国はなぜ離脱を決めたのか。

 しかし、ここで別の疑問も生じる。そもそも「欧州は統合せよ」と主張したのは当の英国元首相ウィンストン・チャーチルではなかったか?

 チャーチル元首相は1946年に「ヨーロッパ合衆国創設」を提起した。これに続き、第2次世界大戦の反省を踏まえ、欧州に二度と戦火をおこさぬよう各国に呼びかけ、石炭と鉄鋼の産業地帯「アルザス・ロレーヌ地方」を共同管理下に置くことが定められ、1952年にECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)が創設された。これが今のEUの原点である。

 その後、ECSCは1973年にEC(欧州共同体)となる。しかし、英国がECに加盟するまで、多くの紆余(うよ)曲折があったと、経済学者の浜矩子氏は著書『EU消滅』(朝日新聞出版)で述べる。
 
「フランスの元大統領ド・ゴールは英国に激しい拒絶反応を示した。英国はもともと7つの海を渡り歩いて他国の富を奪った『海賊国』。フランス、ドイツ、イタリアなど宮廷文化が根底にある『陸欧州』とは全く異なると警戒心を抱いていた。さらに、ド・ゴールは、英米の密接な関係も気に食わなかった。英国はさしずめ『アメリカが送り込んだトロイの木馬』だ」

 英国が結局EC加盟というゴールにたどりり着いたのは、ド・ゴールが死去した1970年から3年過ぎた1973年。しかし同書によると、英国はその念願のEC加盟でも他国と衝突している。

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