朝ドラ「とと姉ちゃん」のヒロインを演じる高畑充希(左)とドラマのモデルとなった大橋鎭子氏(c)朝日新聞社
朝ドラ「とと姉ちゃん」のヒロインを演じる高畑充希(左)とドラマのモデルとなった大橋鎭子氏(c)朝日新聞社
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 NHK朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」は、4月4日に放送された初回の平均視聴率が22.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と好スタートを切った。高畑充希が演じるヒロイン、小橋常子のモデルとなっているのは生活雑誌「暮しの手帖」を創刊した大橋鎭子だ。一体、どんな人物だったのだろうか。

 1920年3月10日生まれの鎭子は、2013年3月23日に93歳で他界している。90歳にして初めて書いたという自伝『「暮しの手帖」とわたし』(大橋鎭子著、暮しの手帖社)によると、東京・深川で大橋武雄と久子の長女として生まれた。次女・晴子、三女・芳子との三人姉妹である。

 誕生の翌年に一家は、父の仕事の都合で北海道に移っている。鎭子が幼いころ、父は肺結核に感染し、病が重篤になったため、一家は療養地を求めて転居を繰り返している。

「上手に箸をつけているから、ここを子どもにやりなさい」(武雄)
「せっかく、お父さんの体の滋養になるものだから、召し上がってください」(久子)

 育ち盛りの娘たちに栄養のあるものを食べさせたいと思う父と、結核の感染を恐れる母の会話である。幼い日の食卓の思い出は、切ない。鎭子はのちに雑誌「暮しの手帖」の料理記事を重視した理由について、「父との悲しく懐かしい食事どきの思い出、あのころの食事の大切さを忘れられないから」と懐述している。

 鎭子が10歳の時に武雄が他界し、葬儀では喪主を務めた。その後も「お母さんを助けて、妹の面倒をみるように」という父の遺言を守り、“家長”の自覚を胸に少女時代を過ごす。“とと(父親)”のような一家の大黒柱の長女という境遇が、「とと姉ちゃん」というドラマのタイトルにつながった。

 東京府立第六高等女学校を卒業後、1937年に日本興業銀行(現・みずほ銀行)へ入行するも、3年で退行し日本女子大へ進学した。学業への情熱を燃やしての進路変更だったが、鎭子も肺結核となり、わずか半年で中退を余儀なくされてしまう。完治後、41年に日本読書新聞へ入社した。

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