東京駅丸の内口を出ると目に飛び込んでくるのが、駅舎と対面するようにそびえ建つ「丸ビル」と「新丸ビル」。オフィス以外に、人気アパレルショップや雑貨店、さらに飲食店などが入っている両ビルは、休日にもなると多くの買い物客などでごった返す人気スポットとなっている。
丸の内のランドマーク的なこの2つのビルを所有するのは三菱地所。実は、丸の内エリアは、古くから三菱グループ関連の不動産物件が多数存在しており、この一体は「三菱村」とも呼ばれていて、そのルーツは明治時代にある。
それまで、同エリアには大名屋敷が建ち並んでいたが、維新後は新政府により没収。取り上げた土地のほとんどは旧日本軍の軍用地となった。しかし、明治20年ごろになると、欧米列強にひけをとらない首都を整備したいとの思惑から、政府が同エリアからの軍隊移転を画策。政府はお金に困っていたこともあり、相場よりはるかに高い価格で、これらの土地を売却しようとしたが、なかなか買い手はつかず。そこで救いの手を差し伸べたのが、三菱だったのだ。
『大軍都・東京を歩く』の著者・黒田涼氏は、「三菱村」誕生の経緯について、こう綴っている。
「困った大蔵大臣の松方正義が、直接、当時の三菱総帥、岩崎弥之助(弥太郎の弟)を訪ね、『政府を救うと思って』と頼み込みました。結果、当時の価格にして128万円で、一帯10万坪を買い取らせたのです」
なお、『平成16年版 国民生活白書』(内閣府)によると、1892(明治25)年の米10kgの価格はわずか67銭。売却価格の128万円は、「当時の東京市の予算の3倍」(同書)に相当する額だ。
丸の内に限らず、実は東京にはもともと軍の施設だった場所が点在している。