「当時は、自分は『日本人』じゃない、『オウム人』であり『麻原人』なんだって感覚なんです」
オウム事件の容疑者が次々と逮捕されるなか、事件当時、オウム真理教でスポークスマンを務めていた上祐史浩氏(49)はこう言った。さらに彼がその頃の状況を振り返る。
「95年にテレビに出ていたころは、とにかく教団を守るために必死でした。サリン事件はオウムの仕業だと、しばらくした後に麻原に知らされていましたが、いわば麻原民族の一員として、自分の国への忠誠、その王である教祖への帰依、修行と思ってやっていた」
かつてメディアを通じて詭弁を振りまき、「ああいえば上祐」とまで言われた上祐氏。その姿も麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の影響が色濃く反映されていた。
「89年の坂本弁護士事件のとき、教団の関与が濃厚だという気持ちがあって、テレビで強く反論できなかったことがあったんです。そのとき、麻原に、
『弱者が強者と戦うには、事実と180度違うことを強く言わなきゃ駄目だ』
と強く指導されました。それで『被害者の会』が怪しいとか、サリン事件では創価学会が怪しいとか、真実と真逆な主張をしてしまった」
麻原を妄信していた上祐氏は、当時の自分を「オウム人の自分は北のアナと一緒だった」と評した。
「この反論のしかたは、北朝鮮の女性アナウンサーと同じです。あれを見ると、『過去の自分と同じだ』と、悪い意味で共感します」
※週刊朝日 2012年6月29日号