人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は「ハムシーンのあとで」。
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春の嵐がここ数日続いている。陽射しは暖かいのだが、風が意外に冷たい。
加えて新型コロナウイルスという嵐が日本の内外を吹きすさぶ。この嵐、先が見えないので始末がわるい。
嵐は、激しくとも短時間で去ってくれるのがいい。春の嵐も、あられやひょうを伴っても翌日にはきれいさっぱり洗い流されたような青空を見ることができる。
なかでも、エジプトで経験した砂嵐(ハムシーン)は、荒々しくあっという間にあたりを包み込み、去ったあとのすがすがしさといったらなかった。
ハムシーンとはアラビア語で「五〇」の意味で、三月から四月、春の時期に訪れる嵐のこと。
エジプトでは、砂嵐には魔神が乗ってくるといわれ、そのすさまじさは体験してみないとわからない。
私は一九七七年の春から秋まで、エジプトに住んだことがあった。
もともと中近東が好きだったところへ、つれあいがテレビ局の特派員として駐在することに。内戦のためレバノンのベイルートからエジプトのカイロに支局を移し、私は半年間そこに置いてもらうことにしたのだ。
ナイルの支流に面した八階のアパートメント。上流から帆船がゆるゆると下ってくる。羊や水を乗せて。
一日五回モスクから礼拝を呼びかける声がもの憂く空中を過ぎていく。
ある朝、妙に頭が重く、胸苦しさをおぼえて目ざめると、窓の彼方が茶色く曇っている。サハラ砂漠の奥に見たこともない雲の塊がある。ほぼ毎日晴れているから異常としか言いようがない。その茶褐色の塊が徐々に近づいてくる。
あれは何だ! それが砂嵐の始まりだとは、初体験でわかるはずがない。
その塊が広がりを見せ、カイロの頭上に押し寄せ、やがてわが家もその渦の中にのみ込まれた。窓の外を見るとビール瓶のような黒褐色の細かい砂粒が飛ぶ。
ぴったりと窓を閉め、目張りをしても、どこからとなくその砂粒が室内に入り込んでくる。