アン・ルイスの大ヒット曲「六本木心中」の歌詞は、音楽評論家として活躍する湯川れい子さんによって生み出された。アメリカン・ポップスの意匠を受け継ぎながら、都会に生きる男女の機微を描き、光と影を色濃く映し出す。

 この曲は先にできていたメロディに歌詞をつけたものだった。湯川氏の当時の様子を音楽ライターの和田静香氏がこう記す。

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「アン・ルイスのアルバム用に1曲、詞をお願いします」

 そう言って渡されたテープだった。

 1984年2月6日、湯川れい子はニューヨークへ向かう飛行機に乗っていた。

 夜遅くに成田を発って数時間、ほとんどの乗客は毛布を被って寝ている。多少後ろめたさを感じながら座席の上のライトを灯し、何回もテープを聴いていた。

 湯川の脳裏にはずっとシンディ・ローパーの面影が、チラチラしていた。

 ちょうどその頃、プロモーション・ビデオが弾け飛ぶように楽しい曲「ハイスクールはダンステリア」が、MTVチャンネルをにぎわせ、大ヒットしている最中だった。

 シンディから伝わる、「見た目はつっぱって派手好き。だけど、とことん尽くすお人よしで、一本キリッと芯が通った日本の下町のおかみさん」みたいなイメージ。それとアン・ルイスが重なって見えていた。

 イメージは徐々に色鮮やかに、大きく広がっていった。

「ろくでもない男。あんな奴、ぶっ殺して、あたしも死のうかなぁ」

 思うようにならない、惚れた男への狂おしいほどの想い。

 きっぷのいい女の、涙めぐましいまでの恋の歌。舞台は東京・飯倉あたりのホテルだろうか。

 湯川の頭の中でパタパタッと時が遡り、今度は60年代初めの六本木の風景が広がる。

 近所にあったおしゃれなイタリアンレストラン「キャンティ」には、「野獣会」と呼ばれ、後にスターになる若者たちが我が物顔でたむろし、熱帯魚みたいに奇麗な女たちが、笑いさんざめいていた。

 仕事に疲れて遠くから見ていたその情景と、恋に胸を焦がす女のイメージが不思議にからみ合い。やがて一つの物語に昇華していった。

 こうして、湯川の代表曲「六本木心中」が生まれた。

※週刊朝日 2012年6月15日号