広島市の旧日本陸軍の施設の解体案に、保存を望む人々から待ったの声がかかった。建物が伝える町の歴史がある一方で、耐震化の財源をどう賄うのかなど、課題は多い。AERA 2020年4月6日号では、同施設が抱える問題を取材した。
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大通りから一本裏道に入ると、巨大な赤レンガの建物が目に飛び込んできた。一直線に3棟連なり、300メートル以上はある。突き当たりを左に曲がるともう1棟。これも100メートル近い。
「L」字形に配置された建物全4棟の存在感は圧倒的だ。
広島市南区。原爆ドームや平和記念公園のある中心部から車で南東へ十数分。通称「赤レンガ倉庫」は、旧日本陸軍被服支廠(ししょう)の建物だ。被服支廠とは、軍服や靴などを製造、調達、貯蔵する軍需施設のこと。4棟の敷地面積は約1.7万平方メートル。それでも全体の約15%で、被服支廠の広大さを物語る。
「五感で感じてほしい。図面だけではわからない。全部見て歩くと疲れる。その実感が大事なんです」
熱い口調で語るのは広島市の都市プランナーで、市民団体「アーキウォーク広島」代表、高田真さん(41)。「赤レンガ倉庫」の保存活動に取り組んできた。
1913年に竣工(しゅんこう)した日本最古級の鉄筋コンクリート造り。外壁が所々剥げ落ち、窓枠が錆(さ)びて反り返っているため、落下防止の網が掛けてある。
傷みが激しいのは歳月のせいだけではない。45年8月6日、原爆で爆風と熱線、放射線が直撃した。爆心から南東2.7キロ。原形を留める貴重な被爆建物だが、市民が強く意識してきたとは言い難い。戦後、4棟のうち3棟を県が取得、残る1棟は国が所有し、高校の校舎や広島大学の寮として使用。その後、日本通運に倉庫として貸与された。
広島市が被爆建物として登録したのは94年。その2年前には利活用に関する提言が民間から出され、95年から有識者を中心に本格的な検討が始まった。瀬戸内海文化に関する施設として活用する「瀬戸内海博物館」構想。「エルミタージュ美術館分館」誘致も計画された。だがいずれも費用がかさむなどの理由で頓挫。老朽化が進んだ。