また、阪和線の天王寺~和歌山間にも「新快速」が7往復新設された。停車駅は鳳のみで、最速45分で結んだが、紀勢本線・新宮~和歌山間の電化開業に伴い、わずか6年で姿を消した。

■国鉄の概念を覆すハイレベルな電車を新製投入

 「新快速」は1974年に新規開業した湖西線に乗り入れるなど成長が続くなか、課題も浮上する。それは車両だ。先述の急行形電車を充当し、全席ボックスシート、しかも乗車券のみで急行用の電車を利用できることから、一見して大サービス列車に思われるだろう。

 ところが、特急料金を不要とする阪急電鉄京都線、京阪電気鉄道の特急形電車は、その上をゆく転換クロスシート(背もたれの向きを前後に変えられる座席)なのである。当時、0系新幹線電車の普通車と同じ座席なので、快適性という点においては、2私鉄の特急が上回っていたのだ。また、もともとが乗降頻度の少ない急行用のため、客室と乗降扉がデッキで仕切られ、混雑時の乗降性が悪かった。

 そこで国鉄は、153系の老朽化を機に、1979年9月に近郊形の117系を投入する。全国的な汎用性を基本としていた国鉄車両では異例の“特化型”で、急行形を上回る「転換クロスシート」を採用。暖かみのある洗練されたインテリアで、特急に準ずる車両に仕上がった。

 1980年1月22日、満を持してデビュー。“新しい新快速”として巻き返しを図ったが、当時は国鉄の運賃値上げが相次いでいた影響で、並行する私鉄との差が広がるばかり。それでも大阪鉄道管理局は並行私鉄への対抗策として、1983年6月15日から10~17時限定、27区間において最大47%引きの回数券を発売し、“選ばれる国鉄”を目指した。

■「新快速」の運転区間の拡大でベッドタウンエリアも広がる

 1986年11月1日ダイヤ改正で、「新快速」は京都以西の全列車において、複々線の走行線路が“列車線”に移された。(草津~京都間は一部の列車を除き、引き続き”電車線”を走行。)これにより高速性が遺憾なく発揮され、途中駅や駅間で各駅停車や快速を遠慮なく追い越せるようになったのが大きい。

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