安倍政権が強引に定年を延長し、法改正までして検察トップに担ぐ黒川弘務氏。抗議の世論は、積み重なった数々の疑念が一気に噴き出したと言える。AERA 2020年5月25日号の記事を紹介する。
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「官邸の門番」の異名をとる黒川弘務・東京高等検察庁検事長。安倍政権が法解釈を変えてまで要職に就けようとする彼が中央政界と関わるきっかけとなったのは、2010年8月。愛媛の松山地方検察庁に検事正として赴任した時期だった。
検事正は捜査・公判など刑事事件の最終責任者であり、同時に捜査の実務を担う検察官や事務官の人事を掌握する地検のトップだ。また、地元の警察、経済界、メディア、政界とも密接な関係を持ち、地検の対外的な「顔」の役割も果たす。当時の黒川氏を知る地元経済界の一人はこう回想する。
「人当たりが良くて、決して肩で風を切って歩くようなタイプではない。人前で天下国家を熱く語ることもない。何事も表ではなく裏でまとめる物静かで優秀な調整役という印象でした」
松山という新天地で黒川氏が出会った人物が、愛媛1区を地盤とし、第1次安倍政権で官房長官を務めた塩崎恭久衆議院議員だ。黒川氏と、日銀出身で経済通の塩崎氏は意気投合。しかし、同年9月に発覚した大阪地検特捜部の前田恒彦検事による証拠改ざん事件のあおりを受け、黒川氏は就任2カ月で本庁の大臣官房に呼び戻される。
黒川氏は同事件を受けて法務大臣の私的諮問機関として設置された「検察の在り方検討会議」の事務局を担当。有能な「能吏」として実務をとり仕切った。政治との距離が近くなったのは、この大臣官房時代だという。
「大臣官房は法務省の予算や関連法案を通すために、政府との実務交渉を担う重要ポスト。その一方、政治から独立しているという検察の規範を、身をもって示さなくてはならない。そんな二律背反の世界において、黒川氏は得意のロビーイングと調整能力を武器に存在感を示しました」(法務省関係者)
当時の民主党政権において、最も政治と検察との間に緊張関係が走ったのは、小沢一郎元民主党代表の資金管理団体「陸山会」をめぐる事件だった。最終的に裁判では小沢氏本人は無罪で決着。この時、一部メディアで「小沢潰しの黒幕」と名指しされたのが黒川氏だった。