菅晴紀(はるき):中学受験で立教大学の付属校に入りましたが、大学は外部受験すると決めていたので、高1の頃からAO・推薦のことも意識していました。
東京外国語大を目指したのは、北西ヨーロッパ地域の専攻があったからです。当初は途上国に関心がありましたが、高校の授業で「わたしは、ダニエル・ブレイク」という映画を見て以来、先進国、特に英国の貧困問題に関心を持つようになって。推薦枠もあるのならチャレンジしてみようと思いました。
──AO・推薦専門の個別指導塾「洋々」のGM(ゼネラルマネジャー)の江口輝亨(てるゆき)さん、最近の傾向は?
江口:以前は、一般入試では合格できない大学への一発逆転を狙う「飛び道具」的なものと思われていましたが、最近は、御三家と呼ばれるような進学校からAO・推薦受験する生徒も出てきています。一般入試との併願も増えており、実際、やり方次第で十分可能です。一般入試の勉強に7、8割、AO対策に2、3割の時間を充てるイメージです。AOのための小論文対策などは一般入試でも役立ちますし。塾は高2の春からというパターンが多いですね。
──高校時代、特にAOを意識してやったことはありますか。
倉橋:AOのためというよりも壁を乗り越える体験で自分を強くしたいという思いがあり、高1の冬から休学し1年間オーストラリアに留学しました。ただ、初めは英語も通じず、毎日泣いていました。
帰国後は、高校生活に全力投球したくて日本語と英語のディベート、ダンス、化学、宇宙研究、ESSの六つの部活と、学外の学生団体の運営責任者をやりました。AO・推薦を狙うならオール5を目指そうと、勉強も高2から受験生並みに頑張りました。
柳井:現役時にAOは眼中になく、「電気部」の立て直し一色でした。コンピューターでゲーム制作や動画編集をやりたくて電気部に入ったのに、いきなり廃部の危機に直面したんです。活動実績がないと部費がもらえないので、友人を誘い込んで映画を作り、コンクールで賞をとったり、ゲーム制作会社に掛け合ってソフトウェアを使わせてもらったり。必死にやっていたら先生たちも応援してくれて。
筑波の自己推薦書にはその経緯を詳しく書きました。教授たちも「(熱血教師と弱小ラグビー部を描いたドラマ)『スクールウォーズ』みたいだ」と興味を持ってくれました。