戦後の思想、文学、文化に多大なる影響を与えた"知の巨星"吉本隆明氏が3月16日、肺炎のため死去した。今年1月に風邪をこじらせて入院し、闘病を続けていた。87歳だった。

 吉本氏は詩作、評論といったジャンルにとらわれず、幅広い活動をしてきた。

 60年代に入ると、『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』などを発表し、学生運動における理論的柱として、カリスマ的支持を集めるようになった。

 文芸評論家の故・花田清輝氏との芸術論争、故・丸山眞男氏や柄谷行人氏との対立は、論壇を超え社会的事件にもなった。

 80年代に入ると音楽やアート、アニメなどのサブカルチャーに強い関心を持った。『マス・イメージ論』などを発表し、YMOの坂本龍一氏、コムデギャルソンの川久保玲氏などとの交流を深めた。

 そのころの吉本氏を、作家の中森明夫氏はこう語る。

「84年に、吉本さんと作家の高橋源一郎さんとの対談で、編集者として自宅にお邪魔したことがあります。その時、お寿司の出前を頼んでくれたんですが、奥さんに『おとうちゃん、ほら、お茶』と声をかけられ『ほいほい』と台所に立ってお茶をいれてくれたんです。吉本さんのそういう身軽さ、態度を深く尊敬したことを覚えてます」

 晩年のこんなエピソードがある。

 ある編集者が、自分の手掛けた本の帯に載せる文章を依頼するために、吉本氏の自宅を訪ねた。

「何のコネもなく突然訪ねたんですが、玄関先まであげてくれて、とても丁重に対応してくれました。偉ぶったところが少しもなく、謙虚で少年のような人でした。目が悪くて、拡大鏡を使って文字を追っているとのことでしたが、数か月後に届いた帯の文章は、本を最後まで丁寧に読んでくれたことがわかるものでした」(編集者)

※週刊朝日 2012年3月30日号