京の寺で見たあの無惨なまでに散った多くの花々がそのことを物語っている。

 まだ生きているような芳香にむせそうだった。香りの記憶は今も鮮烈だ。

 たった一日の儚い生命は、私たちの人生に似ているのかもしれない。あらゆる欲望にあくせくし、経済効率が全てだったコロナ以前の生活にもどることばかりを考え、胸に手を置いて自省することも忘れ、この期に及んでも人間の欲望を優先させる。

 知人の庭に咲いた一輪の夏椿は、瞬時私を清浄な気分にさせてくれた。

 百年以上経つ旧家の知人の庭には、様々な花が咲く。若くして亡くなった母上が好きな花を植えたのだというが、仏教と歴史に造詣の深かった母上はどんなつもりでこの花を植えたのだろうか。

「私はあまり花には詳しくないので」

 といいながら、たいていの写真に名前があるのに今回のメールには花の名が書かれていなかった。

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