哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
* * *
米国での感染拡大が止まらない。テキサス、ミシシッピ、ルイジアナ、フロリダといった南部諸州で感染者が急増している。いずれも共和党の金城湯池(きんじょうとうち)である「レッド・ステイツ」だ。その地では「コロナなんかただの風邪だ」というトランプ大統領のマッチョな態度が好感されている。オクラホマ州タルサでは、先月大統領の支持者集会が地元当局の延期要請を無視して開かれ、6千人余りの支持者がマスクなしで密集した。2週間経ってみたら、予想通り感染者が急増した。
地図を見ると、南部が感染拡大・北部が感染収束で色分けされている。南北戦争が終わって150年経ってもまだ南北対立は残存しているのである。
南部は探検家ラ・サールがルイ14世にルイジアナを寄贈してから19世紀はじめに米国が購入するまで、久しくブルボン王朝フランスの植民地であった。そこでは奴隷労働力に基づいて煙草や綿花など商業作物栽培が行われた。その系譜を受け継ぐ人たちは前近代的な権力関係に違和感を持たない。だから、南部は奴隷制の撤廃にも、人種差別・人種隔離政策の撤廃にも最後まで抵抗したのである。
北部はその点が違う。1848年、ヨーロッパ諸国で市民革命が挫折した後、多くの活動家が祖国を逃れて米国に入植した。彼らを「48年世代(フォーティーエイターズ)」と呼ぶ。彼らの多くは高学歴・高度専門職であり、入植地での指導層を形成した。そして「ネイティヴィズム(古くからの入植者を優先する政策)」と奴隷制に反対して、新旧入植者の平等、人種間の平等を訴えた。
マルクス、エンゲルスの「新ライン新聞」以来の盟友で、米国最初のマルクス主義政治組織を立ち上げたJ・ヴァイデマイヤーもその一人である。彼はリンカーンの大義に共感して、ドイツ移民たちの義勇軍を組織して、北軍大佐として歩兵連隊を率いて南軍と熱戦した。そして、戦争が終わると再び第一インターナショナルと連携して米国の労働運動を領導したのである。この一例からも南北のエートスの差は知れるだろう。
パンデミックは米国の宿病である南北対立を再び前景化させつつあるようだ。
内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数
※AERA 2020年7月27日号