

感染拡大が止まらない新型コロナウイルス。ジャーナリストの田原総一朗氏は、政治家のコロナ危機への対応と安全保障への姿勢は通じるものがあると気づいたという。
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私は先週のこのコラムで、専守防衛という言葉のインチキさについて記した。繰り返し記すが、「専守防衛」を防衛の公式見解として強調したのは、当時防衛庁長官だった中曽根康弘氏である。
この言葉が、私にはさっぱり理解できなかった。
「専守防衛」とは言ってみれば本土決戦で、こんなことをやれば1千万人以上の日本人が犠牲になる。そこで、中曽根氏が首相になってから、直接このことを問うた。すると、中曽根氏は「専守防衛とは、戦わない、ということだ」と答え、日本の安全保障について、「日本のために戦うのは米軍だ。あのような憲法を押し付けたのだから。だから、日本は米国と仲良くする。つまり米国との同盟関係を強めればよい。それが安全保障ということだ」と続けた。
この中曽根理論を自民党の歴代首相は受け継いできた。だが、米国がパックス・アメリカーナを半ば捨てていることで、中曽根理論は破綻している。
このことを先週記したのだが、与党も野党も含めて、政治家からの反応はほとんどなかった。
何と、与党も野党も「専守防衛」で日本の安全保障は心配ない、と捉えているようなのだ。
私は、与野党の大幹部数人に、「今、日本は大変な事態にあるのではないか」と確かめた。誰もが、私の言うことに大きくうなずいた。「だが、この国では安全保障に取り組むのは大変危険なのですよ。各政党からもマスコミからも危険人物というレッテルを貼られる」と、特に与党幹部が小声で答えた。
実は、こうした安全保障への姿勢と、新型コロナウイルス危機に対する姿勢には通じるものがある。
現在、自民党内でコロナ危機に対応するために、体制の抜本改革の動きが起きている。だが、この抜本改革には、厚生労働省を始め、少なからぬ既得権益勢力が強く反対していて、自民党内にも反対勢力が多いのだという。