こうした惨劇が中国で頻繁に繰り返し起きたことを認めないわけにはいかない。より惨状が激しかった1962年前後の大飢饉、多くの人が悲惨な生活を強いられたが、それから58年しか経過していない。現在、何人の中国人がそれを骨に刻み肝に銘じているか? 3000万人が餓死したというのに記念碑一つなく、今に至るも何が起きたのか追究する人もない。

 私たちは命を軽く扱う民族であり、死亡とは私たちにとって所詮一つの数字にすぎず、心の痛みも一時的な浅い感覚でしかなく、長い時間を要さず健忘の本性が戻ってくる。そのようにでも説明しなければ十分とは言えない。

 国が門戸を開き、情報が開放され、収入が増加し、生活様式が変化した中国人。とくに若い人たちは、自分の人生をどのように歩んでいくかについて、次第に世界のいろいろな国の人と考えが一致する傾向にある。しかし、非常に残念なことに、他人の生命についての中国人の見方は依然、中世の水準に留まり、世界に通用する普遍的価値とは大きな落差がある。

■当局発表より多いであろう死者数

 新型コロナウイルスの流行による武漢の死者数は、絶対に当局発表の数字よりもはるかに大きなものである。他国の政府がこの数字に基づいて流行を分析するなら笑ってしまう。かりに各国の政府どうしの間で尊敬と理解が維持できていれば、そういう国々の支援をあてにして武漢の民間から疑問を呈する動きが起きる可能性はある。

 しかし、実際には中国社会の「砕片化」、「泥砂化」により被害を受けた家庭どうしつながりを持てず、結束して真相を見つけ出すことはない。それぞれが悲しむだけで、社会全体としては真相を追究しようとする前向きの力を持ち得ない。何度も数多くの天災人災を経験した私たちは、死者数に麻痺してしまっている。死んだ人の本当の数など、個人個人にとってはほとんど意味がない。

 2008年の四川大地震では、多くの小中学生が学校建設の質の悪さが原因で命を落とした。当時も民間に責任追及を目的とする調査を行う動きが出たが、当局の手段を選ばぬ妨害によってすぐに阻止された。今回も、体制の暴力体質と後進性のゆえに、民間組織が核心的な真実をえぐる資料を握ることは、なおさらありそうにない。

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