本科生による「指導」は不文律。本来は、上級生が下級生に技術の向上や礼儀作法のアドバイスを目的とするものだ。

 1964年に50期生として入学し、83年からは花組で組長をつとめた元参院議員の但馬久美さんは、こう話す。

「わたしの時代は、先輩は厳しかったが、理不尽な指導はなかった」

 阪急電車へのお辞儀についても、
「阪急電車へは礼どころか、乗り遅れときなどは、『待って』と大きく手を振って、止まっていただいたほどです。おおらかな時代でした」

 と笑う。

 宝塚音楽学校は1913(大正2)年、阪急電鉄の創業者で宝塚歌劇団の生みの親、小林一三が宝塚唱歌隊として創立した。

 90年代後半に入学した元タカラジェンヌによると、「阪急電車へのお辞儀」はあったが、

「改札を通る際に駅員さんに礼をするなど、車掌さんへの感謝を示す所作として、違和感はなかった」

 と、行き過ぎた指導は記憶にないと話す。

 元卒業生の保護者のひとりは、娘が在学中に一緒に阪急電車に乗ったとき、自分は座ったが娘は立っていたとふり返る。

「生徒は無料乗車券をもらっていたため、お客さま優先で座ってはいけないと教えられていたと記憶しています。早朝の学校の掃除や、上級生から下級生への生活面での指導など古風な教育が行われていたようです。しかし、娘からも厳し過ぎるとか、耐えられないというような話を聞いたことがなかった。親としては、消えてしまった昔の価値観が今なお実践されていると、ポジティブなイメージを持っていました」

 電車から降りたふたりは、阪急梅田駅周辺を歩いていた。すると、

「娘はしきりに周りに目をやって、音楽学校の上級生がいるかどうか気にしていました。先輩の姿をみかけたら、あいさつ、お辞儀をしなければならないのだと言います。今どき、大変だなあとは思いましたが、それはそれで良いことだろうと感じていました」(同じ保護者)

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「生徒を交えて話し合い改善」