中野:もうどんな嘘をついてでも、人間関係を裏切ってでも、欲求はおさまらないんですよね。

おおたわ:ありとあらゆる手を使いますよ。でも、罪悪感は残っているからそのたびに自分を嫌いになっていくんです。自分を責め、つらくなり、それを埋めるためにまた刺激が必要になる……。

中野:生きているかぎり、それがつづくんですね。

おおたわ:やめたいんだったら死ぬしかない、とまで思い詰めてしまうんですよね。母の依存症に父と関わるなかで、私は子どものころから「この三人のなかで先に死んだ人が、いちばん早く楽になれるんだなぁ」と思っていました。2003年に父が76歳で他界したときには「ああ、ずるいなぁ」と思ったものです。

中野:人は何のために生きるんだろう? と考えさせられます。依存症からの回復では、「今日はやらなくて済んだ」「今日一日、大丈夫だった」と積み重ねていくことが重要だと聞きますね。

おおたわ:依存症をやめるには、それしかないんですよね。終わりがない。でもその「今日1日やらなかった」ということが、達成感になるんですよ。私は、人間を幸せにするものは成功体験しかないと思っているんですけど、「今日やらなかった自分はすごいぞ」という思いが、次の自分につながっていきます。

中野:おおたわさんは今、刑務所で受刑者を診察するお仕事をされているのですよね。そこにも依存症の問題を抱えた人が多いのではないですか?

おおたわ:刑務所などの矯正施設において受刑者を診察したり健康管理したりする「矯正医療」に非常勤医師として携わっています。依存症の患者さん、刑務所の中にも外の世界にもたくさんいますよ。でも私は彼らに「やめなさい」とは一度もいわないんです。そういったところで、やめられないですから。「やめたいんだったら、やめれば?」ぐらいにいっておくと、やめられる人が出てきます。私はそのたびに必ず褒めることにしています。「本当にやめたんだね。すごいよね」って。50歳や60歳にもなると、誰かに褒めてもらえることってないんですよ。だから、それが私の仕事だと思っています。彼らの人生の責任を取ってあげることはできないけど。褒めてあげることくらいはできる。そして「次に来たときも、やめていられるといいね。じゃあまた来月ね」といって、帰ってもらうんです。

(構成/三浦ゆえ)

[AERA最新号はこちら]