ここに第二次世界大戦中にあったユダヤ人とアルメニア人のユニークな立場がわかる話を紹介します。1942年、旧日本軍がインドネシア・ジャカルタを占領したときのことです。同盟国であるイタリアとドイツの国籍の者は解放して、敵国の米国、英国、フランス、オランダ国籍者は逮捕しました。旧日本軍将校は、ジャカルタにいたアルメニア人とユダヤ人と出会った時、自国をもたない彼らをどう扱っていいかわからず、「その他」として最後には解放してしまったのです。

 現代のイスラエルではアルメニア人はエルサレム、ハイファ、ヤッフォの地域社会において重要な存在で、社会のダイバーシティーに貢献しています。彼らは母国アルメニアとの関係を維持しながら、ユニークな民族性と言語を守っています。私が所長を務めているエルサレムのヘブライ大学付属アジア・アフリカ地域研究所でも、アルメニアに関する多くの研究が行われています。大虐殺だけではなく、歴史、文学、文化や言語といった多様な内容です。面白いことに私が担当している学科でも、何人かのアルメニア人がアニメを愛し、日本を研究するために受講してくれています。

 世界を見渡した時、アルメニア人は強い「離散した結びつき」を維持しており、母国との連帯感も持っている。そして、経済的には成功しているイメージがあるかもしれません。最も有名な「アルメニア人離散家族」は、米国ロサンゼルスの超セレブファミリー・カーダシアン家でしょう。とくにテレビショーの「カーダシアン家のお騒がせセレブライフ」という番組は、14年間も人気です。エンタメ産業や洋服デザインなどのビジネスの分野で顕著な活躍をしている一方、有名人とのスキャンダルもあり、米国では知らない人はいないほどだそうです。

 「ディアスポラ(離散)」という運命に見舞われた民族は多くはありませんが、この悲劇に直面したユダヤ人とアルメニア人は、宗教こそ違えども民族と家族の「絆」で結びついてきました。最後にナゴルノ・カラバフでの紛争が終わり、アルメニア人が世界を旅行できて活躍を続けることができるようになることを願っています。

〇Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授、同大東アジア学科学科長。トルーマン研究所所長。1996年、東洋言語学院(東京都)にて言語文化学を学ぶ。2000年エルサレム・ヘブライ大にて政治学および東アジア地域学を修了。2007年京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士号を取得。同年10月、アジア地域の社会文化に関する優秀な論文に送られる第6回井植記念「アジア太平洋研究賞」を受賞。12年エルサレム・ヘブライ大学学長賞を受賞。研究分野は「日本政治と外交関係」「アジアにおける日本の文化外交」など。京都をこよなく愛している。

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