

半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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■横尾忠則「セトウチさんは瞬間、瞬間を生きてはる」
まなほさん
セトウチさんの風邪が治ったものの足の痛みはまだ残ったまま、そこへ、ころんで顔面打撲。散々ですね。目が腫れて好きな本も読めないのはつらいでしょうね。百歳目前で病気して、ケガして、尚且(なおかつ)生かされるのは、まだまだ生き続けて、人のため、世のため、自分のための人生が終わらないのは、まだ使命が残っているからでしょか。生かされているということは、そういうことでしょうね。
セトウチさんはよく気がケロケロ、コロコロ変(かわ)るのは、考えで生きてらっしゃるのではなく、生理で生きておられるからです。生理は瞬間瞬間に変ります。僕も生理で生きて、絵を描く人間ですから、今、こうだと思って描いた次の瞬間に、もう、それを否定して違うことをやります。絵だからいいものの、それが対人関係でも起こる場合があります。そんな時、昨日はキムチ鍋が美味(おい)しくても、一晩寝たらまずくなるのです。セトウチさんは自分に正直だから、すぐ言葉に出してしまうので、周囲は、「エッ? 何?」ってことになって一喜一憂してしまうのですが、生理に忠実に生きている人の特徴で、「ああ、先生は生理で瞬間、瞬間を生きてはるのか」と理解すれば、腹は立ちません。
頭で考える人は、観念的だから、こうと決めたら考えを譲りませんが、生理で行動する人間は、ケロケロ、コロコロ変ることが自然体なんです。いい意味で、変化に富んだ多義的に流動する何にでも対応する自由人ってとこですが、悪く言えば優柔不断な主体性のないカメレオン的人間ということになります。こういうタイプの人間は芸術家の特質をそのまま生きているのですが、台風の目のような人だから、周囲は暴風雨で荒れ狂うほど、振り廻されます。それが、秘書としての修行だと思って諦めることですね。