

コロナ禍に先行きの見えない不安に、どう向き合っていけばいいのか。AERA 2020年11月16日号は、逆境を抜け出した人たちを取材した。
【写真】NGO「ムリンディ・ジャパン・ワンラブ・プロジェクト」を設立した義肢装具士のルダシングワ真美さんと夫ガテラさん
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東京都内のNGOで働く磯部弥一良さん(41)は、15年前、病気の母親を看取って以来、家族が一人もいない。磯部さんのように頼れる肉親が一人もいない人は「無縁者」と呼ばれ、少子高齢化を背景に急増している。
長男で一人っ子。幼い頃の記憶にある父親は酒と喧嘩に明け暮れる、無職の風来坊だった。
「家族中から借金をして、競馬、競輪、競艇、パチンコにのめり込む。潰す身代こそありませんでしたが、家庭に父親の居場所はなくなり、追い出されました」
4歳から6歳までの2年間、父親と2人、車中生活で全国の競馬場を転々とした。競馬に使う金がなくなると、家族や友人に無心する。手を出したサラ金は数知れない。家族会議の末、磯部さんは母親の元に戻ったが、親族との関係は崩壊していた。
定時制高校を経て自力で大学を卒業し、国際交流をコーディネートするNGOに就職する。
父親の存在によって苦労した磯部さんが、今度は無縁者であることで大きな困難を感じたのは社会に出てからだ。家を借りる時、友人に保証人になってもらわないと賃貸借契約が結べないこともあった。友人はいるが、自分や身内の境遇を明かすことを思うと、深い交際まで踏み込めない。病気になった時、誰が自分の看病をしてくれるのかと不安になることもある。
磯部さんが逆境の糧にしているのは、16年間続ける投資だ。
「食費にお金をかけないので、手取り20万円程度であっても、5万円程度を毎月、投資に回すことができました。今では同年代の会社員以上の貯蓄があります。家族の介護を心配する必要もないので、生きてゆくには十分な蓄えだと思っています」
蓄えを持ち自分の老後までを見通す初めての安定を得た。磯部さんにとって、「ライブドアショック(2006年)」「リーマンショック(08年)」「東日本大震災(11年)」を乗り越えることができた成功体験は大きい。