しかし、明菜は百恵ではなかった。おそらく、結婚という幸せをつかむにも、女王の座に長くとどまるにも「負のオーラ」が強すぎたのだ。そんな話をすると、ファンからはそれも破局のせいだとする声があがるかもしれないが、彼女はもともと、そういう人だったのである。
というのも、前出のインタビューで彼女はこんなことも言っている。
「騙され続けてると、自分の中に人を疑う目を持ってしまうんですよね。それが自分でも一番悲しい」
ところが彼女、その10年前にもアルバム用に作詞した「夢を見させて…」のなかで、こんな思いをつづっているのだ。
「臆病な私は 素直な心を知りません 迷路のような 人の心の裏がわかるから(略)心を閉ざしたあの日を忘れたい 素直になりたいから… 自分が悲しいから…」
これについて、文学者の助川徳是は「他者が信じられないにもかかわらず、救いを求める心情」や「人生に対する虚無感」などが「太宰の文学にも通底する基本的な構造」(「太宰治」創刊号・85年)だと書いた。そして、この作詞から5年後に明菜は自殺未遂をするのだ。
そういえば、90年代前半、明菜にインタビューした知人女性は、その後どっと疲れが出て、2日ほど寝込んだという。自分も高校時代に太宰の「人間失格」を読んだあと、そんな状態に陥ったことを思い出していると、彼女はしみじみこう言ったのである。
「あれほどの負のオーラが作品に昇華されてたんだから、そりゃすごいものが生まれるよね」
これには大いにうなずかされたものだ。その魅力に心を動かされた人たちが、今も明菜を懐かしみ、その不遇を嘆いているのだろう。ぺこぱの漫才ではないが、破局もしくは自殺未遂の前に「時を戻し」て、歌姫としての明るい未来をプレゼントしてあげたいと願う人もいるかもしれない。
ただ、ファンが嘆いたり願ったりすればするほど、明菜は浮かばれない気もする。女性として次に進めず、歌手として抜け殻みたいになっている現状だと、その嘆きや願いだけが世の中をさまよい続けるからだ。それは彼女を怨念のヒロイン、それこそ「源氏物語」の六条御息所みたいな存在に見せてしまう。嫉妬から生霊となり、源氏の妻や恋人に災いをもたらす登場人物である。