佐藤:彼ら彼女らは、人間に強い関心があるんじゃないんですかね。生命、人間主義っていうことを重視する。それとつながるのが、この本の中で何度も出てきた「難」という言葉。苦難がやはり信心を強化する。人を強化する。だから、今このコロナという「難」に直面したときに、排外主義が強まっていくなかで、それに歯止めをかけてくれるっていう役割を、私は創価学会に非常に期待しているんです。創価学会員は、ナショナリズムや戦争に向けた動きがあっても、動かないんですよ。どんな理屈をつけて誰がどうやって動かそうとしても、体が動かない。だから、創価学会は、あれだけ激しい対立を日蓮正宗と起こしても、死者が一人も出てない。これもすごいことなんですよ。

澤田:そうですね。小説家の立場からすると、日蓮というのは、みんな興味を持つけれど、書くのに少々覚悟がいる人物です。そういう意味でも、創価学会のほうからアプローチしてみると実は捉えやすい、という気が今、してきました。明治から敗戦までを知ろうと思ったときに、やっぱり日蓮系の流れっていうのは、どこかで押さえなきゃいけないんですよね。

佐藤:それは絶対必要です。特に創価学会の人にとっては、日蓮ではなく釈尊から始まるというのは、モーゼとかアブラハムとか、あのへんの話をしてるように聞こえるんです。そうじゃなくて、イエス・キリストからスタートするということだったら、日蓮からスタートしないといけないんです。日蓮こそが、末法の時代の本仏なんだと。

澤田:対外的危機意識と日蓮を絡めて、その見方がどういうふうに変遷してきたかということには、個人的な興味があります。

佐藤:立正安国論の位置付けとも非常に関係してくるわけですよね。佐渡に渡る前の日蓮の業績も、創価学会は非常に重視するじゃないですか。これは時代の危機意識と関係してると思うんですよ。

澤田:創価学会の歴史を追いかけていくと、本当にこう、キリスト教がずっとやってきたことをぎゅっと短縮して、「NHKスペシャル」のようにまとめて見ているのと近い感覚を覚えます。

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