自伝の大ヒットで、一躍時の人となっていた飯島愛さんを私が初めて「AERA」で取材したのが、2000年の11月。
その後、「週刊朝日」で飯島さんの連載が01年4月決まり、私がその編集を担当することになった。「そういえばこの前、同じ朝日新聞(現・朝日新聞出版)のAERAで、取材受けたよね。こっちの業界知らないし、あのときのライターさんで、まあいっか」みたいな、ゆる~いご指名もあったようだ。
<<ぶっちゃけた話、この連載だって、百パーセント私ひとりの力で書いているかというとそうでもない。私が書いた文や、内容を吹き込んだテープをチェックする編集の人がいて、世に出てもおかしくないように直してくれる。
「飯島さん、とりあえず文章の最後に丸だけはつけましょうよ、丸だけは」
このページの編集担当者はそう言うが、私は文章に句読点をほとんどつけてないらしい。だいたい読点のつけかたがよくわからない。あと誤変換がすごく多いらしい。そんな私のレベルでは、助けてくれる人が必ず必要になる。>>
(週刊朝日2002年8月9日号「飯島愛の錦糸町風印税生活」より)
本人もそう書いているが、最初はメールで送られてきた原稿を見て驚いた。句点も読点も一切なし。句読点を発明した人は、つくづくすごいと思った。これがないと、せっかくの名文もぜんぜん読み進められやしないのだ。この日の原稿を読んで、私は飯島さんにアドバイスした。
「声に出して読んでみたとき、息継ぎするところに点、終わったところに丸ですよ」
興味なさげにふんふん言っていた飯島さんだが、それから6年後ーー。
引退し、立ち上げた事業を私がライターとしてお手伝いしたときに、スタッフにこんなふうに紹介されて、また驚いた。
「えっとねー、この人私に、文章の点と丸の付け方を教えてくれた人だよ」
聞いてたんかい!
原稿はどうやって作ってたの? そんな質問をいまだに受けるので、記憶の糸をたどってみた。作り方はいろいろあったが、例えばこう。まず飯島さんが、パソコンで打った原稿を送ってくる。誤字も多いので解読する必要もあったが、ちょっと整えると彼女しか書けないような名文が出てくる。ほかに字数に合わせて肉付けしたり、誤字を直したり。飯島さんから一度、こんな質問を受けたこともある。