梶山静六3931票――。衆院選を舞台に、旧動燃(現・日本原子力研究開発機構)は原発推進派の自民党候補を応援するため、茨城県東海村で徹底した選挙戦を繰り広げていた。週刊朝日が独占入手した極秘資料「西村ファイル」の中には「組織ぐるみ選挙」の証拠となる記述があった。ジャーナリストの今西憲之氏と週刊朝日取材班が、その驚愕の内容を検証した。

 動燃の元総務部次長・西村成生氏が残した膨大な量の資料。「取扱注意」「マル秘」などと書かれた文書も多く、西村氏が従事させられた「秘密の業務」の中でも、とりわけ重要だったことがわかる。

 舞台は茨城県東海村。現在、日本原子力研究開発機構(JAEA)が本部を置くこの地は、動燃の前身の原子燃科公社が1957年から拠点とし、81年には日本初の核燃科再処理施設が稼働した。同村は、言わずと知れたJCO臨界事故(99年)の現場であり、日本原子力発電の東海第二原発がある。いわば「原子力ムラ」の“牙城”だ。

 資料の多くは、93年の衆院選のときのものだった。宮沢喜一首相(当時)率いる自民党が惨敗し、細川護熙連立政権が誕生。55年体制が崩壊した歴史的選挙である。

 中選挙区制だった当時、東海村がある茨城2区は自民党幹事長の梶山静六氏(2000年に他界)、後に通産相となる塚原俊平氏(97年に他界)の2人の自民党候補が票を分け合っていた。動燃は、2人のために猛烈な「集票工作」を行っていた。そのことをはっきり示しているのが、動燃東海事業所総務課が93年6月に作成した〈過去集票実績〉というデータだ。90年の前回衆院選の集票実績として、こう記されている。

 梶(梶山氏)約3900名 職員1384名 業者2547名
 塚(塚原氏)約2300名 職員784名 業者1495名

 実に計6千票以上の票を集めたというのだ。最終的に、この選挙の2人の獲得票のうち東海村票は、梶山氏が4273票、塚原氏が3717票。動燃は、強大な集票力を誇っていたのである。

 もっとも、動燃側も違法性を自覚して、内部で検討していたふしがある。マル秘印が書かれた87年9月作成の〈課題〉と題された文書には、〈企業ぐるみ選挙 公選法違反の疑い〉との記述があった。違法行為の危険性をも示唆する書きっぷりだが、それもそのはず、続く記述には、〈資金面での援助〉〈団地内見張りの可否〉など“きな臭い”言葉がちりばめられているのだ。

週刊朝日 2013年3月29日号