発酵の摩訶不思議な世界に人生を捧げ、希代のグルマンとして世界中を旅してきた小泉武夫さん。待ちに待った定年を迎え、その後の舞台に選んだのは、北海道の石狩市。水産メーカーの研究員として食品開発に奮闘しつつ、奥深い食文化の大地に分け入った。石狩鍋にジンギスカン、蟹やワカサギ……滋味香味を味わい尽くす日々を綴ってゆく。
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蝦夷の地にある石狩岳は、西にトムラウシ山とオプタテシケ山、南にニペソツ山とウペペサンケ山、東に喜登牛山、北西には大雪山など名だたる峰巒の一角に列嶂した、標高二〇〇〇メートルに至近する峻峰である。
この山の頂から発した碧水の一滴は、流れ下るにつれて仲間を寄せて集走し、さらにあちこちの山々からの渓水とも合流して勢いと弾みをつける。そして先ず大雪山北麓に層雲峡を刻み、そのまま一気に上川盆地に進むと、そこで忠別川を呑む。さらにその盆地の西側にある山地をぬうぬうと越えて神居古潭峡谷を摺り抜け、今度は南下して、気付いてみると遥か遠くに石狩岳を望む滝川辺りに辿り着く。するとそこからは、いよいよ雄大にして超然たる大河の滔々とした流れが始まり、美唄川、空知川、夕張川、江別川、千歳川、豊平川をも呑併して、ついには面積実に三八〇〇平方キロという、日本屈指の肥沃平地である石狩平野を生むのである。
そしてこの大河は、平野の西端近くにある札幌の北東に至ると進路を北西に転じ、しばらくしてから全長二六八キロメートルの悠揚なる旅を終え、ゆったりとしながら日本海に注ぎ込むのである。全流域面積一四三三〇平方キロ、北の大地北海道の面積の二割を占めるこの大河こそ、北海道の大自然をつくり、人や動物の営みを育み、そして豊穣の大地、豊饒の大海を生んだ石狩川なのである。
石狩川の名は、アイヌ語の「イシカリペツ」、すなわち「著しく曲流する川」の意からきたといわれ、昔から大規模な回流、蛇行が至るところにつくられた暴れ川であった。
その偉大で広大な石狩川の、河口近くの大堤防の上に私は今立っている。