震災発生から2日後に、あしなが育英会は震災で親がなくなった、もしくは親が行方不明となった遺児(胎児から大学院生まで)を対象に特別一時金の給付を決定し、1カ月後の2011年4月11日には宮城県仙台市に事務所を開設した。

■2083人の遺児に届けた給付金

 当時あしなが育英会の大学奨学生だった私は、「お知らせ隊ボランティア」として岩手県を訪ねた。「お知らせ隊ボランティア」とは、あしなが育英会の大学奨学生が職員とチームを組み、避難所を回って給付金制度の説明とポスター掲示の依頼を行うものだ。

 被害が大きかった沿岸部から少し内陸に入った遠野市に拠点を置き、3人一組で五つのチームを組んで沿岸部に通い、公表されていた宮古市から陸前高田市の計4市2町の避難所を一つひとつ回った。学校の体育館、福祉施設、公民館、漁村センターなど1チームが担当する数は、優に100カ所は超えていた。初めて訪ねる土地で、地震や津波の影響で通行できない道も複数あり、計画していた避難所すべてを回るのはとても時間がかかった。

 避難所では遺児やその家族に直接会うことはかなわなかったが「対象の子がいたらぜひ、この制度を教えてあげて下さい」と伝え、ポスターと申請書を配って回った。震災から1カ月ほど経っていたにもかかわらず、道は瓦礫を脇によけただけの状態で、避難所には多くの人や車両が出入りし、とても状況が落ち着いているとは言えなかった。

 そんな状況下でも周知活動を続け、東北の被災地を中心にした全国2083人に給付金を届けることができた。

 震災後間もない2011年5月から、ボランティアとして震災・津波遺児を対象とした数多くのサポートプログラムに参加してきた私は、大学卒業後、震災の翌年4月にあしなが育英会の職員となった。みずからも親をなくした経験をもつ当事者として、子どもたちの力になりたかった。

 職員になったばかりの頃は、被災地を支援する活動の拠点だった宮城県仙台市、石巻市、岩手県陸前高田市で行われるサポートプログラムに参加しながら、その運営や事務作業を学んだ。その後、正式に担当地域が陸前高田市に決まり、子どもプログラムの主担当を務めることになった。

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子どもたちとたくさん遊んで、笑って、話に耳を傾けてきた…