経営破たんから再生を果たしたJAL。しかし破たん後は、会社の決定に涙する社員もいた。
破綻から約半年後、パイロット訓練生だった南良樹(26)は会社の決定を茫然と聞いていた。
「経済合理性の観点から、パイロットの養成は中止されることになりました」
報告したのは現社長で、当時は運航本部長だった植木義晴(60)。隣で同期が泣いていた。無理もない。南たちは2009年の入社組。1年足らずで会社は破綻し、一度も空を飛ぶことなく、夢を断たれたのだ。示された選択肢は二つ。退職するか、地上職に転じて会社に残るか。
「航空会社がパイロットの育成機能を放棄していいはずがない。必ず再開する時が来る」
そう自分に言い聞かせ、残る道を選んだ。新たな配属先は顧客マーケティング本部。与えられた仕事は「定時到着率」の向上だった。09年から公表された統計で、JALは09、10年と世界一。だが11年は全日本空輸(ANA)に年初から先行された。
マーケは空港と連携し、「前便の到着遅れ」や「整備作業の発生」など遅延につながった要因を洗い出し、関係部署に対応を促す役目。目に留まったのは「お客様関連」という項目だ。搭乗ゲートの混雑や手荷物収納の手間など、どれだけの遅れにつながったかが判然としない要因が一括りにされていた。
半年かけてヒアリングし、「乗り継ぎ客が乗ってきた便は自社便か、他社便か」など、細かい要因まで分刻みでつかめるようにコードを改定した。定時率の難敵は朝夕のラッシュアワー。客の利便性を高める方向でダイヤの見直しができないか、担当者と議論を重ねた。地方空港もすべて回って課題を把握。社内の関心を高めようと、前日の定時率を国内外の全社員にメールで毎日送った。
迎えた12年の元旦。実家でパソコンを開いた。
ANA 90.18% JAL 90.14%
わずか0.04ポイント差の惜敗。それでも熱意は届くものだ。「必ず奪還」「勝って祝杯、あげましょう」。励ましや反省のメールが、社員から次々と届いた。上げ潮ムードが続いた12 年は、ANAに2ポイント以上の差をつけて圧勝した。
その最中、吉報が舞い込んだ。パイロットの養成再開だ。会社側の理由は「様々な職場で頑張った皆さんに応えたい」。残った仲間たちも自分にできることを探し、奮闘していた。
訓練開始が1年先か、2年先になるかは定かでない。ただ、今はその待ち時間も有り難いと思える。
※AERA 2013年5月20日号